学生が連行され問答無用で強制労働に送られる?戦時中の日本の話。

語り継ぐ

母方の祖母のお葬式の時に、叔父(母の兄)が祖母の思い出話として、戦時中に叔父が経験した話を聞かせてくれました。

その頃、祖父母は大阪の繁華街で化粧品店を営んでいました。
女給さん(今でいうホステスさん)たちがお得意さんで、母専属のお手伝いさんがいたり、海辺に別荘があったりといいますから、お店はかなり繁盛していた様です。

叔父は当時、中学生でした。
戦中までは今とは学制が違います。正確には知りませんが、小学校は尋常小学校4年、高等小学校4年があって小学校卒業後、中学校へ進学します。
中学校は現代の様な義務教育ではなく、今の高等学校にあたるそうです。
ですから叔父は中学生といっても、16~17歳で今だと高校生にあたる年齢です。

ある日の夕方に、用事で友達と会った叔父は帰路、繁華街の通りを歩いていました。繁華街の中に自宅のお店があるので、その通りを歩くしかありません。
ところが、そこで私服の警察官にいきなり捕まって警察署に連行されたのです。
「こんな夕方に中学生が繁華街をブラついているとは何事か」と問答無用だったそうです。
いくら自宅がそこにあって帰宅途中だといっても、頭から不良学生の嘘だと決めてかかって、まともに聞いてくれません。

暗くなっても帰宅しない叔父の事を心配した祖母は、あちこち探し回っていました。深夜になっても戻りません。
今の警察とは全く違い、子供が帰宅しないなどと駆け込んでも、深夜まで中学生がウロついているなどは、非国民か!と逆に叱られかねません。

祖母は、町会長などに頼み込んで色々と調べて貰いました。結果、警察に拘留されているのが判明しました。
町会長の伝手で翌日には釈放されたそうですが、もう少し遅かったら、まともな調査もされず、身元不明の不穏分子として炭鉱などの労働力に強制就労させられていたそうです。

今ではとても信じられない話ですが、戦争遂行の旗印の元に公権力が異常に強化され、国民の人権など無いに等しかった戦時中の恐ろしさを感じました。
北朝鮮の人権状況に私達は義憤さえ覚えますが、私たちの父母が生きて来たほんの少し前の時代に、日本が北朝鮮とほとんど同じ状態だった事を、もう一度噛み締めたいと思います。


Writing by 歴史大好き爺さん
太平洋戦争は、私にとっては歴史ですが、私の父母、祖父母、叔父叔母にとっては、歴史ではなく体験です。
生の歴史として、もっと彼らの体験談を聞いておきたいものです。