何年か前に、浜名湖に本土決戦用に旧陸軍の四式中戦車(チト)が埋まっているのが発見された?という報道がありましたが、80年代末まで『鉄のカーテン』で閉ざされていた旧ソ連及び東欧諸国でも、川の底や地中などに、独軍やソ連赤軍の戦車や装甲車が埋められており、有志の手により発掘からレストアまでされているという報道を耳にされた人も折られるかと思います。
今回は、そういう埋もれている戦車・装甲車について話をしたいと思います。
何のために埋めた?戦車や装甲車
この4月だったか、東欧・ポーランドのピカ川に沈んでいた、独軍の兵員輸送車Sd Kfz 250が発見され、有志の手により引き上げられレストアされたという報道をネットで知ったのですが、80年代末まで『鉄のカーテン』で閉ざされていた旧ソ連・東欧諸国地域では、地中や川底から旧独軍や旧ソ連軍の戦車や装甲車などが発見されています。
2014年には、それまで現存する実車が残っていなかった旧独軍のIV号突撃砲(爆撃により生産出来なくなったIII号突撃砲の代わりに、IV号戦車の車台にIII号突撃砲の上部構造物を取り付けた駆逐戦車)が発見され、有志の手によりレストアされ、現在は博物館に保管されているという報道がありました(YouTubeには、レストアされたIV号突撃砲が動く映像もありました)。
また、旧ソ連であったベラルーシ(白ロシア)やウクライナ、バルト三国でも、地中にT-34戦車が埋められていたという報道が何度かあったり、そのうち、独軍に捕獲されて使用された、独軍マーク入りのT-34も見つかったという報道を目にすると、「それだけ、過酷な戦場だったのだろうか」とも思ってしまいます。
が、このような報道を見聞きする度に、なぜそのような戦車や装甲車などが埋まっているのか?という素朴な疑問が浮かんできたりします。
「敵の手には渡したくない」から埋めた!?
まず考えられるのは、「敵の手に兵器を渡したくない」ということではないのでしょうか。
独軍の場合は、撤退途中に河川などに戦車を沈めたり、大砲や航空機などを鉱山とかに隠したりするということが考えられます(ドイツのどこかの街では、大戦時の88ミリ砲が隠されていたという報道もありましたね)。
次いで考えられるのは、移動中に戦闘や爆撃で立ち往生したものが、地面や河川に埋まってしまったということでしょうか。独軍の場合、旧ソ連軍の「スターリンのオルガン」ことカチューシャ砲などで、のべつまくなく砲撃を受けている状況だったので、砲撃で穴が開いた部分、その地面の土砂で戦車などが埋まってしまうということも、もしかしたらあり得るかもしれないですね。
あと、それこそ戦争末期に、迫り来る旧ソ連軍から西側連合軍に降伏するために、移動の邪魔になる重装備、戦車や大型砲を破棄して西へ向けて敗走した、そういう可能性もあると思います。
戦車を動かす燃料である石油の備蓄も底をつき(だからヒトラーは、ベルリン防衛用の戦車部隊を『春の目覚め』作戦に投入したとか)、弾薬の補充もままならない大戦末期の独軍では、手持ちの車両を満足に動かすことも出来なかったのかもしれません。だからこそ、それらを廃棄したのかもしれません。
幸か不幸か、冷戦終結まで手つかずだったこともあり、今、こうして埋まっている戦車や装甲車の発掘が出来、レストアされて保存とかされていることを思うと、戦争自体は不幸なことではあるけど、その兵器である戦車などが「遺産」として残された、そういう意味では埋もれている戦車などに感謝しなければならないのかな!?と、そんなことも思ったりもしたのでした。
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