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戦時急造の駆逐艦丁型(松型・橘型)

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太平洋戦争の激戦で日本海軍は駆逐艦を急造する必要に迫られます。
それが丁型(松型・橘型)と呼ばれる駆逐艦です。

目次

戦局に必要な新型駆逐艦

太平洋戦争が激化する1942年(昭和17年)8月以降になるとガダルカナル島を巡りソロモン諸島の海域での戦いが繰り返され、日本海軍の駆逐艦の損害が多くなった。
敵艦と戦うだけではなく、輸送船団の護衛や物資や部隊を運ぶなど駆逐艦の役割が多くなったからだ。

日本海軍は開戦前から敵艦との戦いを主に想定して作った朝潮型や陽炎型のような駆逐艦を船団護衛や輸送任務にあまり使用したくなかった。
そこで日本海軍は船団護衛や輸送任務に割り当てる新型駆逐艦を作る事に決めた。
丁型と呼ばれるようになる新型駆逐艦は戦局の必要で作られる事から、短い期間で作れる艦である事が求められた。

急造駆逐艦

丁型駆逐艦は戦時急造を意識して次のような物になった。
・小型の艦にする。(基準排水量1260トン)
・船体の構造で曲線部分を無くし簡素化
朝潮型が基準排水量2000トンで陽炎型が1900トン弱であるのと比べると丁型がいかに小さく作られたか分かる。

SnowCloudInSummer, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由

船体の曲線を無くし工数を減らすのは船体を作る上での簡素化を進める為だ。また地上で船体を組むブロック工法も取り入れ建造期間の短縮に繋げた。
これまでの駆逐艦が2年ぐらいの建造期間であったのが、丁型では9カ月や半年にまで短くなった。
日本海軍は40隻以上の建造を計画し、舞鶴工廠と横須賀工廠に加えて民間の藤永田造船所で終戦までに26隻が竣工した。

戦闘艦としての丁型

船体の作りやすさに成功した丁型
では、駆逐艦と言う戦闘艦としてはどうなのか?
速力は最大で27.8ノットと朝潮型や陽炎型の34ノットと比べると遅い印象がある。だが敵艦へ突撃するような戦いをする訳では無い、船団護衛をする丁型なら十分な速力と言える。
また機関の構造もこれまでのボイラーと機関が同じ個所にある配置から、丁型ではシフト配置と言う離した位置にした。これは被弾しても機関とボイラーの全部は壊れず航行不能になる危険が低下した。

武装は主砲が対空砲である高角砲が2基、機銃は25ミリ機銃が26挺と13ミリ機銃が6挺である。魚雷発射管が4連装1基があるものの次発装填装置が無く、丁型が敵艦と戦うより敵の飛行機を戦う対空戦闘を強く意識した駆逐艦なのです。
しかし、そんな丁型も戦争末期になると特攻兵器「回天」を搭載できるように6隻が改造された。この「回天」搭載艦は本土決戦に温存され出撃はしませんでした。

参考文献
・MILITARY CLASSICS VOL.73巻頭特集松型・橘型駆逐艦 イカロス出版
・秋月型駆逐艦<付/夕雲型・島風・丁型> 山本平弥など著 潮書房光人社新社

eyecatch source:U.S. Navy, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

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