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テレゴニーは世界に平和をもたらすのか?

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テレゴニーとは複数回性交した際に、複数の雄の遺伝子が混じった子供が生まれるという考え方である。

一方、受精とは、精子が卵子に入り込み、成長可能な状態なる事である。
精子を受け容れた卵子には、受精膜が生じる事で、他の精子の侵入を直ちに遮断する。
ごく短期間に複数の雄と性交し、卵子に同時に双方の精子が入り込んだとしても、そこで出来上がるのは「多精子受精卵」で、育たないか流産するしかない。

受精のメカニズムを考えれば、理屈に全く合わないが、古くから信じられていた考え方でもある。

テレゴニーのどこに真実性があるのだろうか。

目次

テレゴニーの役割

遺伝の法則が発見されるのを待つまでもなく、人類は品種改良という形で、家畜や農作物の遺伝子を経験的に操作していた。
人間に関しても、外見や性質の類似から、両親が何かしら投影されている事は理解されていただろう。

現在日本では概ね共通認識である一夫一婦制は、文化的な要因で成立しているもので、人類普遍の性質ではない。
多くの文化で、結婚はしばしば重婚や乱婚の形になった。では、女性がごく近い時期に複数人と性交した場合、その子供の父親は誰か?
人の目鼻の形は、似ていると言えば似ているし、似ていないと言えば似ていないものだ。
人間の感覚は曖昧だ。コロッケは千昌夫に似ているが、並べると黒子以外は別に似ていないのだ。

この時、テレゴニーの考え方が全て上手く片付けてくれる。

その子は、誰か1人の精子と受精したのではなく、みんなの精子が受精した、で良いじゃないか。
誰の子供か探す必要はない。みんなが父親として義務を案分すれば良い。
遺伝子は女性側に記録されているのだから、いつ性交したかも気にしなくて良い。生涯関係を持った全員が、等しく父親だ。

この考え方は、自分の遺伝子を残すという戦略からは不利以外の何者でもない。
だが、社会性を武器として人間が生き残ってきたと考えれば、社会単位の生き残りには有効である。
乱婚下、テレゴニー発想を持っていれば、共同体に所属する子供は全て、自分の子供として、確執なく育てられる。
むしろ、性交と妊娠を結び付けて考える必要も薄い。

これが、明確に自分の遺伝子しか認めない場合、そこで起こるのは新しいリーダーによる嬰児殺しだ。
疑わしい遺伝子も排除し、雌のリソースを自分の子供に向けさせる。
この場合、自分の遺伝子は残せるが、群れとしては、遺伝的多様性も個体数も減り、社会は脆弱のまま、大きくなっていく事がない。

すなわち、テレゴニーは、社会性の発展と相性の良い、非常に優れた考えであるとも言える。

神はビリヤードもしない

テレゴニーの科学的な実在性は、「ない」と考えるべきだろう。
「後成学」という考え方もあるが、これは遺伝子そのものではなく、環境要因が受精後に遺伝子に作用するもので、テレゴニーと本質が異なる。

遺伝子はセットで成り立つものだ。他の遺伝子のカケラが受精卵に割り込んだところで、遺伝子異常にしかならない。
その遺伝子のカケラが異常を起こさず、受精卵に影響を与えるというのは、ビリヤードのスーパープレイのようなものだ。
撞いたボールを、並んだボールの1つに当て、左右のボールを動かさず、同じ位置に静止させる形で入れ替える。
そんなテクニックが必要だろう。
プロのハスラーなら出来るかも知れないが、このビリヤード台は平面ではなく、立体の上、液体の中だ。人類誕生以降、1回あったか2回あったかというレベルの確率の低さだ。

では、オカルトではどう考えられるだろうか。

オカルトに語られるテレゴニー

テレゴニーは、神話の中に語られる。

ギリシャ神話の登場人物テセウスの父は人間のアイゲウスと、海神として知られるポセイドンである。
1人が神であるなら、遺伝子とは違う次元で神聖を割り込ませられるだろう。納得しやすい理屈だ。

人間同士の場合はどうか?
繰り返すが、2つの精子が同時に機能する状況は基本的にあり得ない。
卵子が複数排出され、ごく短いスパンで性交したなら?
それはただの、別の父を持つ二卵性双生児であり、遺伝子は混じらない。

だとすると、オカルティックな力ではどうか?
いわゆる「先夫」が、自分の性質を伝えたいという強い気持ちで性交し、その思いが現在の夫との受精卵に作用し、姿や特徴に影響を与える。
この時、生物的には現在の夫の子だ。遺伝子を調べたとしても、先夫の気配はない。ただ、特性として先夫に似てくる。

だが、そこまで強いオカルトパワーを持つなら、何も性交を経る必要はない。
最もパワーの強い者は、妊婦やその以前の花嫁の近くにいるだけで、自分の影響を与える事も出来るのではないか。
人類の歴史の中で、現在初めて現れるというものでもないだろう。
既にそれは実行され、多数の人間がその「父」の特質を与えられている可能性はある。
振る舞いに統一的な法則があれば、気付けるのだが。

どの文章で読んだかの記憶は鮮明ではないが。
確か、多くの人の結婚の場に居合わせた「父」と呼ばれる人が、いたような、いないような。

※画像はイメージです。

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