待ちに待った敵艦発見と出撃。
その重要な大本営宛一報に、無駄な文言が入る余地はありません。
秋山真之がとっさに付け加えた一文
露国バルチック艦隊を発見し、即刻の一海戦にてこれを打ち破るべし。これが連合艦隊に課せられた絶対の使命でした。
なぜなら大陸では何十万人という陸軍将兵が未だ作戦中で、日本海を渡る大量の軍事物資輸送が不可欠だからです。
露艦隊が無事にウラジオストック港に入ってしまうと、制海権の不安定がこの輸送を危うくし、大陸の戦況に重大な悪影響がでるためでした。
露艦隊の予想航路は対馬、津軽、宗谷の各海峡3コース。
露艦隊を絶対見逃せない連合艦隊司令部は、敵の進路予想に血眼になっていました。
そして「敵艦隊見ユ」の一報が索敵艦から入ると、早速艦隊司令部は大本営宛、
「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、撃滅セントス」
の報告分を作成しました。
この案文を見た秋山がその場で追加したのが、「天気晴朗ナレドモ波高シ」の一文でした。
ただの現場天候であるはずがない
当時、無線と海底ケーブルを通じたモールス信号により、前線と大本営は連絡を取り合っていました。
その情報量は一分間で二十文字という限られたものでした。
従って現場天候程度の余計な情報を、重大な報告に入れる余地などありませんでした。
また生来、徹底した合理主義で無駄を嫌う秋山が、呑気で不要なお天気情報をわざわざ付け加えるはずもありません。
この一文によりある重要な事柄を、秋山は大本営に伝えようとしたのです。
天気晴朗の意味
飛行機などで着弾観測のできない当時の海戦では、敵艦周辺に上がる水柱を観測して照準を修正していました。
当然、天気晴朗ならその観測がより正確に行えます。
それは敵艦隊についても同様なのですが、例えば旗艦三笠では年間消費を越える弾薬数を、十日間の訓練で撃ち尽くしたというような、異常とも言えるほどの猛訓練を行って来た連合艦隊の、砲術に対する秋山の信頼感と自信が、天気晴朗ならば味方絶対有利を確信する根拠となったのです。
そして波が高ければ照準が難しくなり命中率が下がります。
そうするとモノを言うのは連合艦隊の艦船が多く装備していた速射砲でした。
戦後の調査では、一分当たりの発射砲弾数は、露艦隊が138発(9.1トン)に対し連合艦隊は360発(24.1トン)で、照準難易度が高くなる波高シの状況では、砲術技術が磨き抜かれた上に、より数多くの砲撃が可能な連合艦隊が圧倒的に有利だと予想できました。
開戦後の戦況予測としての勝利の確信を、秋山は短い文章で大本営に伝えようとしたに違いありません。
参照:知将 秋山真之 生出寿 著
※画像はイメージです。
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