19世紀、なぜ日本は植民地化されず、独立を守れたのでしょうか?
明治日本の急発展
黒船到来以降、欧米列強の外圧の中、日本は国家体制を急転回させ、かろうじて植民地化を免れました。
そればかりか以後、国力を急速に増大させて、アジアで唯一、欧米に比肩し得る国家へと成長しました。
日本の識字率の驚異的な高さ
文字を始めとするいわゆる知識は、古代の昔から主に宗教組織で守り伝えられてきました。
その宗教組織の守護者は国王などを頂点とする権力と富の独占階層なので、宗教組織から文字・知識を学ぶことができたのはその階層の人々だけでした。
つまり一般庶民には学問の機会はなく、従って一般国民の識字率が低いのは、19世紀中頃の欧米先進国でも当たり前でした。
ところが同時代、幕末頃の日本国民の識字率は、来日した欧米人のほぼ全てが驚嘆するほど高く、欧米列強の国を含めて他に類を見ないほどで世界一といって過言ではありませんでした。
寺子屋と本
寺子屋は一般庶民の私塾で、いわゆる読み書き算盤などが教えられました。
人口約3300万人の幕末には1万以上の寺子屋あったとも謂われており、人口約1億2千万人の現代(平成27年)の公立小学校が2万校強なのと比較しても、その多さが目立ちます。
庶民向け教育機関がこれだけあれば一般庶民の識字率が高くなるのは自明の理で、それは国内の本の出版流通を盛んにしました。
本の流通はさらに読み書き習得を加速させるという好循環で、国民の識字率を押し上げたのです。
富国強兵
明治の富国強兵政策は単に最新兵器を導入するだけでは成り立ちません。
その兵器操作の技術知識が必要です。
またさらに進めて軍備の国産化にはそれが可能な設備の導入と、その設備操作の知識など生産技術も不可欠です。
これらは全て当然人が学んで習得するものですが、学びの基本は識字です。そして識字率の高い日本では、高度な知識を習得でき得る人材がより多く確保できました。
日本が植民地化されなかっただけでなく他のアジア諸国に先んじて欧米列強に追いついた、大きな要因の一つは識字率の高さであり、その源流は江戸時代の寺小屋にあったのです。
国民の文化水準は国力の一つです。
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