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戦中のおじいさん・・・実は

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おじいちゃんが経験した話で、実は本人は何も語らなかったのですが、のちにいろんな人から聞いた話をまとめてみました。

目次

私のおじいちゃんは

私のおじいちゃんは第二次大戦中は大学生でした。
あまり体が丈夫な方ではなかったので学徒動員の際に身体検査で弾かれたそうで、直接戦地に行くことは免れたそうです。

戦局があまり思わしくなくなって来たであろう頃、いよいよおじいちゃんにも招集命令が来てしまいました。兵役逃れができるはずもなく、かといってどこへ行くと事前に伝えられぬままおじいちゃんは招集されました。

ここからの話は聞き語り

ここからはおばあちゃんから聞いた話と、おじいちゃんの同期の学生さん(のちに仕事の同僚になった方)がおじいちゃんのお葬式で弔辞としてお話いただいた内容です。

終戦を迎え、おじいちゃんは怪我をすることもなく、無事に戻って来ました。
どこで何をやらされていたんだ?という話には柔らかい笑顔のみで答え、細かいことを語らなかったそうです。

でも、戻って来たおじいちゃんは、前は飲まなかったお酒を飲み、体が弱かったので手を出さなかったタバコを吸うようになっていて、同期の学生さんたちからはからかわれたり冷やかされたり。
それでも柔らかい笑顔で返すのみのおじいちゃん。

戦後だいぶたって

戦争の爪痕も復興し、それぞれが家庭を持ち高度成長の時代が目の前にさしかかっていたであろう時代に、同期の方がおじいちゃんの家に遊びに来て一緒に飲んで語っていた時にふと「あの時は」という話題になったそうです。

その時におじいちゃんは酔っていたからなのか、時間の経過がそうさせたのか、自分がどこにいて何をしていたのか一度だけ漏らしたそうです。

衝撃の事実

おじいちゃんは招集後、汽車に乗せられて四国に向かわされ、とある訓練を受けていたそうです。

人間魚雷・回天です。

飛行機での特攻の方がセンセーショナルで有名ですが、こちらもかなり悪名の高い、乗り込んでしまえば中からは開けられない、成功率が著しく低くて燃料が切れればその場で自爆するというアレです。

それでも自分は生き残った、というようなことを訥々と語ったそうです。
帰って来てくれて本当によかったと同時に、帰ってこれなかった方々を思うと胸が痛くなります。

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