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日本刀がたくさんあったけれど

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これは戦時中の祖父のお話です。祖父は東北の田舎町に住んでいました。
田舎の風習ですが、この地域では戦争が終わるまで、嫁ぐ際に必ず持って行かなければならないものがありました。

田舎の風習には不思議なものもあります。
祖父の実家の地域の風習は、嫁ぐ際に日本刀を持っていくというものでした。

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なんで日本刀?

祖父の実家の地域では、お葬式の際にお守りとして日本刀を一緒に棺に入れます。
あの世に行ってから、その亡くなった人を守ってくれると信じられていたそうです。

今でもお金を入れたり、お守りとして他に何かを棺に入れることってありますよね。
それと同じように、日本刀を棺に入れていたそうです。

廃れてしまった理由

戦時中、金属が足りなくなりました。 武器を作るのに必要だったので、どの家からも金属を集め回ったといいます。
田舎町の祖父の実家にも、その回収はやってきます。 それに応じて、家にあったすべての日本刀を渡してしまったそうです。

今思えばなんでそんなもったいないことを!とか、隠しておけばよかったのに!と思いますが、戦時中はそんな考えにはならなかったのでしょうね。

田舎町だからこそ、都市部からの疎開してくる児童を受け入れている家もあったといいます。
どれだけ田舎でも、その戦争の意識は根付いていたんですね。
日本刀を没収されて以降、お葬式で刀を使うことはなくなりました。

戦争が終わった

しばらくして終戦、玉音放送を聴いた祖父は、最初言葉が難しくて何を言っているのかわからなかったといいます。
あと少し年が高かったら祖父も戦争に召集されていたかもしれません。
いくら田舎といえど、その地区の墓地には、戦争で亡くなった人のお墓もいくつかあります。

農家であった祖父の家は、食べるものに困ったことはないと言っていましたが、田舎だろうが都市部だろうが戦争の影響があったことを感じました。

しかし、その祖父だけでなく、祖母も戦時中を生き延びたからこそ今の私があります。
その激動の時代を生き抜いてくれて、ありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。

※画像はイメージです

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