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祖父から聞いた「東京大空襲」

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自分の祖父から聞いた話です。
祖父が「7歳」の頃、東京にいたそうで、ちょうど「東京大空襲」がありました。

東京大空襲は、死者遺体数は「10万人超」、負傷者「15万人」、罹災者「300万人」、罹災住宅戸数「70万戸」。
その被害の中には、祖父も入っておりましたが、祖父の家族はなんとかみんな無事に生きていたそうです。

目次

戦争の怖さを初めて知った

自分が祖父と戦争の話をしたのは、小学校4年の頃でした。
学校でも歴史の勉強を少ししていたので、興味本位で祖父に戦争の話を聞いたのですが、今考えれば「よくそんなこと軽々しく聞いたな」と思います。

自分が覚えている限りでは、祖父はイヤな顔や辛そうな顔をせずに戦争の話をしてくれました。
東京大空襲は、自分が今まで見ていた光景が、あっという間に一面から焼き野原になってしまったこと。
空襲を何十回や何百回も経験したことなど、様々な戦争体験を教えてくれました。

それは聞いた自分は「本当に日本の話なのか」と怖さを感じ、震えていました。

一番怖いと感じたこと

その中でも一番怖いと感じたことは、「川に人が群がっていた」ところです。
無数の焼夷弾で町が火の海になり、炎に巻かれ焼けてしまった身体を冷やしに行こうとする人、喉の渇きを潤そうとする人、わけもわからず川に落ち込む人など、様々な状態が川へ群がっていたそうです。

ところが川は茹で上がり、飛び込んだ人は悲鳴を上げながら沈んでしまい。
そうしているうちに、焼夷弾の油が川の上にまで広がり引火して、川までもが火の海となり、水を求めてやってきた人々を巻き込んで焼き尽くしてしまいました。
川の中や河原には無数の死体が転がっていたとうです。

その光景を見た祖父は、「まるで地獄絵図だ」と思ったそうです。
今の自分でも想像することができない地獄絵図の川は、考えるだけでも恐ろしく鳥肌が立つほど怖い光景に感じました。

そして最後に祖父が一言つぶやきます。
「今お前がいるのは、それを乗り越えて生きてきた人たちのおかげだ、命を大事にしろよ」と言われました。
それ以来、なにか嫌なことがあっても、この祖父の言葉を思い出し、乗り越えるようにしています。

※写真はイメージです。

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