平安時代末期において激しい戦を駆け抜け、刀や弓を使って次々と敵騎を討ち取った女性の武将がいました。それは「巴御前」、男性顔負けの強さを見せつけるいろいろな逸話が残っています。
彼女の戦いぶりはいったいどのようなものだったのでしょうか?
巴御前とはどんな人物?
彼女は木曽義仲の家臣として知られていますが、彼女の生まれた時や亡くなった時期についてよく分かっていません。御前という名前から高い身分の血筋であることが予想されますが、この言葉は当時女性に対する呼び方でもあったので、血族を探るヒントにはならないでしょう。
彼の従者だったり愛人ではないかとも言われていて、彼女には兄が二人いましたが二人とも妹と同じく家臣でした。彼女が登場する作品は少なく、実在したかどうかは怪しいです。いろいろな戦さに登場しますが彼女の詳細は分かっておらず、子供の時から彼の稽古の相手になったり、戦場にも一緒に参加したとされています。
「一人当千の兵なり」の逸話
勇敢なエピソードが多い女性ですが、彼女は中原兼遠の娘で兄たちと共に、子供の頃から馬に乗ったり弓や刀なども使う活発な女の子でした。彼とは夫婦という関係ではなかったようですが、父は彼女の姉と結婚させたとも言われています。いろいろな思いを持ちながらも、彼らは共に戦火の中時代を切り開くのです。
「一人当千の兵なり」と記載されている物語がありますが、そのような武勇伝をまとめた他の資料はありません。しかしながら、彼女を祀った塚は全国に点在しており、その伝説は現在もいろいろな土地にあって勇ましい様子を聞くことができます。その姿は色白で髪が長く、非常に美しかったそうです。戦場へ行くと弓を引く強者で、相手がどのような大男でも相手にしました。
大軍を大破させたり、これまでの勢力を逆転させたくりから峠の戦いにおいて、多くの敵の首を切っていきます。戦さでは大きな刀と弓を使う者として描かれており、美しい鎧をまとって馬に乗る勇ましい姿があったと人は言いました。
本当に存在したのか?
彼女のエピソードには兵士の首を刎ねたり、素手でねじ切ったり、敵の首を両脇に抱え腕を締めて切ったなど誇張されたものが多いですが、実際どうなのでしょう?書物には彼女のことはあまり書かれていませんが、当時甲信越地方では武士の家には戦いに通用するため訓練を積んだ女性は存在していました。恐らく彼女も戦場にはいたのでしょうが、戦場で馬に乗る女性は珍しかったことから、誇張されいろいろなエピソードができたのかもしれません。
彼女以外にも数名の女性の姿があり、物語にも登場していますが、その存在は定かではありません。現在も峠には塚が残されていて、実在していたと伝えられており、地元の人やファンの人たちが花をお供えしています。彼女の塚は国内にたくさんあるので訪れる人が多いです。最終的に戦いで彼は亡くなりますが、彼女のことを心配して戦いの前に逃しています。最愛の人から別れを告げられ、戦場を去って故郷に帰りますが、源頼朝から呼ばれて死刑にされそうになった際、和田義盛によって助けられ妻になりました。
高齢になると越中国石黒において尼僧になり91歳で亡くなったそうです。しかしこのエピソードが真実かどうかは定かではありません。能楽の話にもなっていて戦場での忠義や、男女の情愛などが複雑に交差するシーンが描かれており、彼女は幽霊として登場し最愛の人の最期や心残りなどを語り出します。
滋賀県にある義仲寺には逸話があり、草庵を結んでは亡き人の供養を行なう美しい尼層がいました。里人が誰かと質問すると、尼僧は「我は名もなき女」と言ったそうで、亡くなった最愛の人への愛情が感じられます。
最後に
歴史的に珍しい女性の武者であり、その謎めいた生涯から現代において何度も少女漫画などに取り上げられてきました。一般的に主人に忠義を尽くし、愛に生きる女性というイメージが多いでしょう。ゲームの影響から知名度も上昇しており、女傑として活躍するシーンを見ることができます。
彼女に関する資料はあまり残されていませんが、各地には数多くの伝承や史跡などを見ることができます。全国に塚があり、軍記物語に武勇伝が描かれている数少ない女性です。彼女は颯爽と戦場にその美しい姿を現し、次々と敵を倒していきました。二人の間には師従関係を超えた深い愛情を感じることができます。
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