父親がビルマ戦線に行っき、無事に帰還したことは知っていました。
しかし戦争を語る事はなく、きっと口にもしたくない悲惨な体験をしたのだと思っていました。
父親の一言に驚いた
父親が脳梗塞で倒れ、一命を取りとめたのは70代後半の時です。退院して自宅療養していた時に、戦友だと言う方が見舞いに来ました。
父親のベッドの脇の椅子に座り、父親と2人で話しています。
私はお茶を運んだり、食事の支度をしたり、たびたび部屋に入りました。
「楽しかったなあ、もう一回行きたいなあ」
「まさか、帰れるとは思わなかったからなあ、行きたいなあ」
私は耳を疑いました。
手を取り合い、朗らかに声を立てて笑い合う2人にすごい違和感を覚えました。
そのうち、父親の姉にあたる人を呼ぶようにと言われ、夕食の支度もすることになりました。
私にすれば伯母です。
I時間ほどかけて、伯母がやってきました。
「伯母さんは、弟のお父さんが心配で、一緒にビルマに渡ったたんだよ」
母も知らない現地の話しが、3人の口から次々に語られます。
悲惨な話しも笑い話しになっているようです。
「君はよく上官に殴られたなあ」
「生意気だからなあ、敬礼も満足にできなかったもんなあ」
「お姉さんが来てくれて、助かったよ。食堂は部隊の兵隊でいっぱいだった」
理解できない3人
何の話し?
扉の向こうの陽気さが理解できない。
「お姉さんは、ビルマで一稼ぎするんだと、夫婦でビルマに渡ったんだけど、まさか一緒に行動してたのかしら?」
母も初めて知る話しばかりだと言う。
食堂は繁盛し、しばらくは面白い日々だったらしい。
父親も行動的な姉のお陰で、悪戯ばかりする新兵さんと言ったところか、とにかく3人は本当に愉快そうに当時を振り返っていた。
ビルマ戦線がどんな様子だったか、知りませんが、こんな風に語る戦地もあったんだと、初めて知りました。
「また行きたいなあ、楽しかったなあ」
伯母さんはビルマで習った舞を披露して、また3人で大笑いをしている。
「なんだろうね、あの3人の戦地の様子が、まったくわからないけど、きっと伯母さんとお父さんは楽しくやっていたのは間違いないわ」
母があきれたようにため息をついた。
確信に触れてしまうのが怖い
部屋が静かになった。
「帰るときは悲惨だっけどね」
「お姉ちゃん、大した事はなかった、生きて帰れたんだからなあ」
「奇跡だよなあ、まあ、君も脳梗塞で死ぬ玉じゃないだろ。苦労した分、長生きしなきゃ」
3人は帰りは困難だったらしい。
私は確信に触れてしまうのが怖くて、あの日の3人の話しは、あえて聞かなかった。
戦争が楽しかったなんて、ありえないことだけど・・・戦地によってはこんなこともあったのだろうか?
今では3人とも鬼籍に入り、話を聞く相手はいない。
※画像はイメージです。
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