「事実は小説よりも奇なり」と言われますが、そんな話です。東京都の遥か南の海上に絶海の孤島「鳥島」があります。
ここでは時期は違えど同じ土佐から漂着した2名の例や、同じく流れ着いた者同士で協力して船を作り郷里に帰ったという驚くような話があり、日本版「ロビンソンクルーソー」とも呼ばれています。
野村長平とは?
東京都から南へ約600km、伊豆諸島の一つに小さな火山島「鳥島」があります。土佐の出身の船乗りでここに漂着し、島での厳しい生活に耐え、島を脱出し無事に帰郷した男の話です。
「無人島長平」の異名がありますが、私は同じ高知県の出身でも、長平の話は知りませんでした。
大学を卒業後地元銀行に入社し、長平の出身地、今の香南市香我美町岸本付近を仕事で回っていた時に銅像があるのに気づき、それがきっかけで初めて知りました。地元の小学校では学ぶようですが隣町では教えていないという存在です。
長平は水夫で、1785年に地元の岸本から御蔵米を田野まで運び、帰路、嵐のため遭難し鳥島まで流されました。鳥島は周囲を断崖絶壁に囲まれた小さな無人島。水は無く食料はアホウドリの肉と卵という状況、そんな厳しい生活の中で同僚は次々に死去し一人ぼっちの生活になりました。
無人島長平
最初は火が無くアホウドリも生で食べ、水は卵の殻に貯え、干し肉も作ったようです。そんな厳しい生活の中、3年後の88年に大阪の漂流民11名、90年に日向の漂流民6名が加わります。長平から生活の術を学び、漂流民は多様な人材が力を合わせ、自分達の船の材木や流れ着いた物などを活用し、数年間かけて船を作り八丈島経由で江戸まで帰っています。
長平が故郷の土佐、岸本へ帰った時には丁度、本人の13回忌の法要が営まれていたと言いますから、地元民はさぞ驚愕した事でしょう。長平は野村の姓を藩から賜り、結婚もして、鳥島での体験を披露しながら60歳まで長生きしたと言います。別名「無人島長平」「日本のロビンソンクルーソー」とも言われています。
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