砲弾の降る中、艦橋上部指揮所に立ち続けた「東郷平八郎」

  • 2021-02-11
  • 2021-02-07
  • 戦史
  • 37view
  • 0件

日本海海戦で東郷平八郎は、指揮官の理想像を具現化しました。

トラガルファー海戦のネルソン提督

英国艦隊がスペイン・フランス連合艦隊を打ち破り、ナポレオンの英国征服の野望から母国を救ったとして現代でも英国民がほこりとしている、トラガルファー海戦で勝ったネルソン提督です。

当時の海戦は砲撃戦だけではありません。
各艦が入り乱れての接近戦では銃撃戦もあり、砲弾と銃弾が飛び交う乱戦になります。
こうなると特に専用の制服を着ている艦長や提督には、狙撃が集中して危険が増大します。

一説にはその危険を憂慮した副官が、ネルソン提督に着替えを勧めたのですが、彼はそれを拒否したと言われます。
砲弾が炸裂し銃弾が飛び交う甲板上で、ネルソンは悠々と戦闘の指揮を続けました。
それは最高指揮官としての勇気と威厳と誇りを戦闘員たちに示し、彼らの士気を高めるためでした。
しかし提督の制服を発見した敵兵からの狙撃により、ネルソンは戦死しました。

宮古湾海戦の甲賀源吾

戊辰戦争の最後の戦いである函館戦争では、幕軍と官軍の戦艦による宮古湾海戦が行われました。
嵐や座礁などで軍艦の不足に悩んでいた幕軍海軍は、官軍軍艦の鹵獲を決行します。

官軍艦艇が停泊する宮古湾で、幕軍海軍・甲賀源吾艦長指揮の回天が官軍軍艦・甲鉄に突進し接舷し、回天切り込み隊が甲鉄に乗り移り白兵戦が繰り広げられました。
切込隊の中には土方歳三の姿もありました。

しかし最新式機関銃ガットリング砲による迎撃もあって切込隊は撃破され、この襲撃は失敗に終わります。
この戦闘で艦長甲賀源吾は、銃弾が交錯する艦橋上に身を晒して指揮をとり銃弾を受けて戦死しました。

日本海海戦の東郷平八郎

日露の艦隊による日本海海戦は、後に東郷ターンと呼ばれる、前代未聞の日本連合艦隊の敵前回頭から始まり、艦隊の先頭を走る旗艦三笠には当然敵砲火が集中します。
連合艦隊司令長官・東郷平八郎は、敵砲弾が炸裂する中、屋根も壁もない剥き出しの、危険この上ない艦橋上指揮所で指揮を執り続け、より安全な艦橋内指揮所に入るようにという、参謀たちの進言にも従いませんでした。

薩摩藩士だった東郷は宮古湾海戦に官軍海軍の一員として参加し、回天の切込攻撃を目の当たりにしました。
そして敵ながら甲賀艦長の勇敢な指揮振りに感銘を受けました。

また薩英戦争では、東郷は負けた悔しさを上回って、英国海軍の圧倒的強さに感嘆し、後に海軍士官として英国に留学します。
その時に知った、トラガルファー海戦のネルソン提督の死に様にも、東郷は大きく感動したと言います。

こうして指揮官のあるべき姿を心に刻み込んだ東郷は皇国の興廃を決するあの一戦で、命を賭して理想の指揮官たろうとしたのではないでしょうか。
艦橋戦闘指揮所に悠然と立つ司令長官の姿を見て、兵員たちは奮い立ったといいます。

歴史大好きジイサンです。
いざという時の行動は、信条に根差しています。

参照:東郷平八郎 真木洋三 著
※画像はイメージです。

最新情報をチェックしよう!