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大日本帝国、通商航路壊滅の実態とは?

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太平洋戦争中、日本の輸送船は甚大な被害を被りました。
通商航路壊滅の実態について考察します。

目次

二種類の輸送船

輸送船とは本来、人員・兵器・物資などを海上輸送するための船舶のことです。
即ち、戦闘部隊の作戦行動に伴い、輸送船は兵站拠点から作戦地までの海上輸送を担います。

四方が海の日本では兵站といえば海上輸送になります。
例えば上陸作戦であれば、陸軍の歩兵や戦車・大砲などの兵器とその弾薬、そして食糧や医薬品などが海軍の輸送船で運ばれます。また海軍の作戦なら軍艦の燃料を運ぶタンカーも輸送船です。
さらには前線に基地を設置すれば、そこへの兵站のために輸送船が使われます。

一方で日本は各種資源獲得を目的に東南アジアに侵攻しましたが、それら資源を内地に運ぶための船舶が必要でした。
通常、軍事目的ではない物資貨物の運搬船は、貨物船、商船として輸送船と区別されますが、石油や鉱物資源の様に経済活動に使われる民需用と、兵器製造などに使われる軍需用との区別がつきにくいモノがあり、特に戦時にはこれら貨物船なども輸送船と考える事ができます。

戦線を拡大し続けた帝国海軍

1941年、真珠湾攻撃を成功させた帝国海軍の守備範囲は、その後最大で北はアリューシャン列島から、南はオーストラリアに隣接するニューギニア島、東は中部太平洋から西は東南アジア一帯と、広大な西太平洋全域に及びました。

勢力を伸長拡大する過程には上陸作戦や敵基地攻略の戦闘が多数あり、その作戦のための兵站線確保は当然海軍の任務でした。
そして最前線には陸海軍の前線基地が設けられ、それらに対する継続的兵站線に関しても同様です。

この広大な勢力範囲に散らばる多数の基地への、膨大な兵站を担う輸送船の数も当然の如く莫大なものになり、その多くは国内の民間の船会社から多数の船腹を徴用して補いました。

作戦と通商航路護衛のどちらを優先するのか

帝国海軍は開戦から僅か半年後、ミッドウェー海戦で大敗北を喫します。
それから以後、各海域での海戦で日本海軍は劣勢を余儀なくされ、前線基地も米国の強力な反転攻勢に晒されるようになりました。

帝国海軍の劣勢は即ち制海権の喪失であり、それはそのまま輸送船の損害増大という結果に現れてきました。
その被害は軍の作戦用輸送船はもちろん、資源産出地域と日本本土を結ぶ通商航路の輸送船にも及びました。

作戦用輸送船の被害は、例えば上陸した日本陸軍が十分な補給が得られず、戦闘以前に飢えに苦しめられた、ガダルカナル島攻防の様な悪状況を招きました。

一方で通商航路での船舶被害は、民需軍需両面での国内生産の衰退に影響しました。
資源が届かなければ、軍艦も飛行機も弾薬も作る事ができません。
海軍はこの窮状を打破するために、戦勢回復を期した軍事作戦を企画します。
それら作戦の実施のためにさらに輸送船を投入せねばななりませんが、船腹の絶対量が不足する現状では、通商航路に使われている輸送船から、船腹を無理やり引き抜く事になります。

これに対しては、輸入資源量減少による国内生産悪化を理由に政府は反対します。
また海軍内部の護衛艦隊司令部も、連合艦隊による艦隊決戦よりも、通商航路護衛に艦隊戦力を注力すべきと主張しました。
しかし艦隊決戦主義に凝り固まった、海軍首脳部の思考を変える事はできませんでした。

結果、輸送船被害増大、資源輸入減少、国内生産悪化、兵器生産量減産、戦線逼迫、そしてさらなる輸送船被害、という悪循環に陥りました。

歴史大好きじいさんです。
貧すれば鈍すとはこの事です。

参照:海上護衛戦 大井篤 著
※画像はイメージです。

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