太平洋戦争における原爆の使用は、何万人もの米国の若者の戦死を防ぐ為に必要だったという事が、米国側の理由として伝わっています。
しかしそれは表向きの事。
真の理由は戦後世界の覇権を巡る米国の思惑が絡んでいました。
ソ連の対日戦参戦
ヨーロッパ戦線のドイツ降伏後、東ヨーロッパにおけるソ連の動向から米国は共産勢力の脅威を目の当たりにします。
ヤルタ会談では、対日参戦の見返りとして南樺太と千島列島の支配を認めていた米国も、ソ連の日本侵攻状況によっては、ドイツ同様の分割占領が現実化する可能性がある事を恐れました。
そうなれば中国大陸の共産化を背景に、太平洋を挟んで米国は共産勢力と直接対峙する危険が生じます。
ソ連参戦は弱体化した日本の降伏をそのまま決定づけてしまい、そうなれば日本本土までソ連軍が流れ込んでくるのは必至です。
そうなる前に米国主導で日本が降伏させる事が政治的戦略上必要だったのです。
ポツダム宣言を巡る米ソ確執
7月16日 原爆実験成功
7月17日 ポツダム会談
7月26日 ポツダム宣言発表
8月6日 広島に原爆投下
8月8日 ソ連対日参戦
8月9日 長崎に原爆投下
8月14日 日本、ポツダム宣言受諾
この日取りをみると、ソ連参戦、ポツダメ宣言、原爆投下が先を争う様に並んでいます。
これはソ連参戦と原爆使用のタイミングを米国が如何に重視していたかの現われなのです。
実際、英国首相チャーチルのポツダム会談開催要請をトルーマン大統領は何度も拒んでいます。
そして原爆実験成功の翌日に会談を始めました。
また宣言草案にはあった「天皇の地位保全」を削除し、共同署名国からソ連を除外しました。
これは日本が模索していたソ連の仲介による降伏を阻止しようとした措置で、占領政策でのソ連の介入忌避が目的です。
そして米国の軍事的優勢をソ連に誇示する為に原爆投下が欠かせなかったのです。
人命より国家
原爆投下には、人道的見地から当時でも米国内でも反対がありました。
しかしそれも核爆弾の様な非人道的兵器を使用する事で、米国が世界的批判に晒される事を危惧した為です。そしてそんなデメリットを勘案しても、世界情勢において米国の対ソ連優位性の確保が優先されたのです。
事の是非はともかく、この様な人命に対する国家優先の考え方は現代に至るまで続いてる事実は、私達は認識しておかなければなりません。
世界で唯一、核攻撃を受けた日本。
私達日本人は、なぜ原爆が使用されたのか、その本当の理由を知っておかなければなりません。
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