1938年5月21日、岡山県西加茂村で凄惨な事件が起こりました。
村に住む都井睦雄という青年が、日本刀と猟銃を手に深夜から翌朝にかけて30人もの村人を殺して回った。
夜の闇に浮かび上がるその姿はまさ鬼のようだったのではないでしょうか。
この事件は、西加茂村が津山市という名前になったことから、「津山事件」や「津山30人殺し」などと呼ばれています。
横溝正史の『八つ墓村』のモデルになったことでも有名な猟奇殺人事件を簡単に解説します。
なぜ事件を起こしたのか?
都井睦雄は事件後すぐに自殺し、遺書に自分を捨てた女と村人たちへの恨みが綴られていました。
もともと陸雄は肺結核を患いながらも、成績優秀で将来有望な青年だったのですが、徴兵検査が人生を一変させます。
結核が理由で事実上で兵隊には不合格と知れ渡ると、いままで陸雄をチヤホヤして関係のあった村の女性達が離れていき、村の中で孤立するようになっていった。
いつしか陸雄は村人たちへの憎悪を募らせ、復讐計画を考えるようになり、実際、事件の3年も前から綿密に計画されたのです。
周囲の人たちは、だんだんおかしくなっていく陸雄に気づいていたようで、一度は警察によって武器を回収された記録も残っていますが、陸雄の復讐の決意は揺るぎないものでした。
事件の決行
事件を起こした動機のひとつとして、かつて恋仲にあった女性の里帰りが挙げられています。
自分を捨てて他の男のもとに嫁いだ女性が許せず、その女性が自分の手の届くところに帰ってくるというタイミングで、復讐を実行することにした。
陸雄は、村人たちを手にかける前に祖母を斧で斬り殺しています。
自分がこれから起こす事件の重大さを理解していたので、そんな中で犯人の身内である祖母が1人生き残ってしまったら遺族からどんな目に遭わされるかわからないと思い、祖母も道連れにすることを決めた。
そして次々と村人を殺害し、最後は自決して事件は幕を閉じたのです。
津山30人殺し
村人を殺しおおせるまで止まることのなかった陸雄、その執念からは深い憎しみを感じます。
睦雄は時代によって作り出された、悲劇の青年といえるでしょう。
※画像はイメージです。
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