映画『未知との遭遇』には、アメリカ政府機関で「UFO」の調査活動に携わっていたアレン・ハイネック博士がカメオ出演している。
ハイネック博士の信念は別として、彼が纏めた目撃談には興味深いものが散見される。その中から、UFO神話の最初期のストーリーを抜き出していたら・・・私自身の「第一種接近遭遇」を思い出してしまった。
ローレンス国際空港のUFO事件
1950年4月7日夜。マサチューセッツ州ボストンにあるジェネラル・エドワード・ローレンス国際空港の航空管制監督官は、3人の職員とともに管制塔の業務に就いていた。
21時55分ごろ、職員たちは管制塔から見て西側の空に、濃いブルーの発光を確認する。管制官は双眼鏡を取り出して正体を確かめようとした。しかし光を発する「本体」に当たるものが見当たらず、朦朧とした楕円形のブルーの光、それだけしか目視できない。
発光する何かは南西から北東に移動する、速度は飛行機と同じようなもの。
管制官たちが観察を続けていると、移動する光はブルーから白に変化して、ふたたびブルーに戻った。ブルーに戻った光は移動しながら白い光に分裂。
ブルーと白の発行体は、互いに戯れるようにグルグルと夜空を回転して飛んでいく。
この光景を見た管制官たちは「誰かがサーチライトで悪戯をしているのか」と考えるが、二つのうち一つ、ブルーの発光体は北東の空へ消え、もう一つの白い発行体も追うように同じ方角へと飛んで消えた。
時間にして、約10分間。
管制官はどう考えたか?
近隣の空港に問い合わせてみると、そうした飛行物体は確認されていないと返答される。目撃者は合計4名。
さて管制官はどう考えたか。
管制官は当時の航空関係者の例に漏れず、第二次大戦に従軍していた。戦場は太平洋戦線で相手は日本海軍。1942年から昼夜を問わず空中戦闘に従事し、1945年8月15日を迎えた。
それから5年後の出来事だった。
それまでのパイロットとしての技能や経験、現在の職務と照らし合わせて検証した結果「分からない」。
当時は最初のUFOブームの最中だったが、管制官は「地球外知的生命体の乗った宇宙船だ」と結論づけることはなかった。せいぜい未解明の自然現象だろう、というあたりに結論を落ちつけた。
長い人生のなかで「UFO」を目撃する人物はそれなりにいる。そしてUFOを目撃したところで、そうした分野に深入りする人物は少ない。
思い出したUFO
私がこれを書いている土地でも、かつて似たようなUFOが目撃されている。
1990年代の或る夏の深夜、私をふくめた小学生男児3名が、田舎にある親戚の一軒家の2階で寝付けぬまま布団にくるまって、ヒソヒソと馬鹿話をして過ごしていた。
ふと1人がカーテンを開けっ放しにした窓の外に目をやると、夜空を上がったり下がったり、あるいは静止したりを繰り返すオレンジ色の発行体を目にしてしまう。
そうして3人は人生ではじめて、UFOを拝むことと相成った。
一同の気持ちは凍りつき、そのまま気まぐれに夜空で戯れるUFOの行方を固唾をのんで眺めていた。ふいにUFOは速度をあげ、どこかに飛んでいった。
それで終わりである。
3人とも数日後には、UFOのことなど綺麗サッパリ忘れていた。そのうちの1人であった私も、こうして書いている時に漸く、モヤモヤと思い出した。
あれから20年以上が経った。私は今もおなじ土地で生活しているが、夜型の生活を送るようになってもUFOを目撃する機会が巡ってこない。おそらく、こうした体験が一生に一度きりの貴重なものだろう。
長い人生にとってUFOとは「そういうもの」だ。
※画像はイメージです。
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