第二次世界大戦、特に太平洋での日米戦は日本人の良く知るところです。
しかし第一次世界大戦についてはあまり知られていませんが、大日本帝国海軍の艦艇が地中海において少なからず活躍し、その活動がヨーロッパで称賛されました。
第一次大戦と大日本帝国
第一次大戦の主舞台は欧州大陸で、開戦当初は日本は中立を守っていました。
当時日英は同盟関係にありましたが、その適用範囲がインド以西のアジア地域に限定されていたからです。
しかしドイツ東洋艦隊の通商破壊活動を懸念する英国からの要請と、アジア・南洋諸島のドイツ権益の獲得を目的に日本はドイツに宣戦布告します。
日本陸海軍は英国軍と連合して、ドイツ東洋艦隊の根拠地、青島と膠州湾の独要塞を攻略しました。
また日本海軍はドイツ領北太平洋諸島を占領した上、 英国本国とアジアの英国植民地とを結ぶインド洋の海上通商護衛任務に当たります。
帝国海軍・第二特務艦隊
しかし帝国海軍の明記すべき活躍は地中海においてでした。
日本は英国からの要請を受けて、地中海にまで艦隊を送り込みます。
地中海では、ドイツUボート艦隊による通商破壊戦により英国輸送船団が大きな被害を被っていました。
Uボートの攻撃で被雷した僚艦の乗員を救助しようとした2隻の英国艦が雷撃され、 3艦全てが撃沈されて6000名もの兵員共に失う被害があったために、 以後被雷した僚艦の救助を禁止しなければならいほどにUボートの脅威が増していました。
そんな危険な地中海に、帝国海軍の巡洋艦1隻、駆逐艦8隻の第二特務艦隊が派遣され、
後には巡洋艦1隻、駆逐艦4隻の第15駆逐隊も増援されて連合国軍輸送船団の護衛任務に就きます。
帝国海軍の艦隊は終戦までに348回の護衛任務を果たし、護送した連合軍艦船延べ788隻、護送人員75万人に及びました。
また英国輸送船が被雷した際に、英国艦船にさえも禁止されていた危険な僚艦救助を、敢えて強行するなど勇敢な働きがあり、英海軍大臣からの感謝の電報が送られ、英国王から勲章を授けられたりしています。
後にはそれに参加した駆逐艦「榊」は、雷撃されて59名が戦死するなどの被害も受けています。
第二特務艦隊の好評価
英王立海軍地中海艦隊・マルタ軍港司令官は、意思疎通や稼働率における日本艦隊の優秀さを、日露戦争の日本海海戦の結果が納得できる練度の高さという言い方で表現しています。
英地中海艦隊キャルソップ司令官も、日本艦隊の司令官や乗員の仕事ぶりを、「日本艦隊は言うまでもなく素晴らしい」と本国に報告し、フランス海軍トゥーロン軍港では日本艦隊の歌が作られ、新聞に取り上がられるほどの好評価を得ました。
それでも派遣戦力は英国の要請からは微小に過ぎ、やはり要請のあった陸軍の派遣は為されていません。
もう少し、大きな協力をしていたなら、後の英国の対日本姿勢は変わっていたかもしれません。
参照:真珠湾の暁 佐藤大輔著
※写真はイメージです。
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