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泣く子も黙る最強軍団「米国海兵隊」を育てたのは日本軍だった??

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米国海兵隊は海軍の補助組織だった・・・。

目次

ミソっかす米国海兵隊(U.S.Marine Corps)

米国独立戦争中の1755年、大陸海兵隊(Continental Marines)が発足しました。これが海兵隊の始まりです。
しかし何かの必要があって創設されたのではなく、単に本国英国の海軍に同様の組織があったのでそれに倣っただけという、中途半端な存在でしかありませんでした。
そのとりあえずの通常任務は、航行中の海軍艦船における水兵の反乱防止など艦内秩序保持のための警備で、戦闘中には敵艦船に乗り込んでの白兵戦や、敵の物資集積所への攻撃なども行うものの、それはあくまで陸海軍の補佐に過ぎませんでした。従って独立戦争終結後は一旦解散されてしまいます。

再度編成されたのはフランスとの関係が険悪になった1798年で、この時に米国海兵隊(U.S.Marine Corps)と命名されました。海兵隊はその後の数多くの戦争で戦果を挙げてはいましたが、それは陸軍と全く変わらない活動によるものなので、陸軍関係者からは戦果の横取りとか、二重組織による予算の無駄などの理由で、海兵隊不要論が根強く残りました。それでも海兵隊は増強され続け、発足当初は士官下士官128人、兵卒752人だった人員が、20世紀初頭には士官200人台、兵卒1万人弱になっており、パナマ運河警備や中南米各地の紛争に派遣されました。

しかしなお海兵隊不要論の連邦議員からは、相変わらず経費の無駄使いと攻撃されていました。そんな状況下でも組織廃止に至らなかったのは、陸海軍の下部組織ではなく、同列組織として議会の決議で発足していたため陸海軍の権限は海兵隊に及ばず、海兵隊擁護議員の頑張りによって議会で解散議決が回避されているからに過ぎませんでした。海兵隊は長年に亘って、いわばミソっかすでしかなかったのです。

強敵、大日本帝国陸海軍現る

第一次世界大戦後、独領ニューギニア各島が、連合国の一員だった日本の委任統治となりました。この時、フィリピンやグアムを領している米国は、西太平洋に割り込んできた新興国日本に脅威を感じ始め、日本を仮想敵国としたオレンジ計画が採用されました。対日戦の主戦場が太平洋なのは明白で、日本列島への侵攻は洋上の島を順次奪還していくことになり、その作戦は既に防備された敵前への強襲上陸となります。

この危険極まりない困難な作戦を実行する、特別な部隊として海兵隊が選ばれ、総合的な兵力整備が進みました。そして第二次大戦が起こった時、主要な陸海軍兵力を対独戦のために優先準備し、対日戦には太平洋艦隊と海兵隊の兵力が当てられることになりました。ガダルカナル・タラワ・サイパン・ベリリューなどの苛酷な上陸作戦に海兵隊は投入されます。

これら戦線で海兵隊は見事な戦果を挙げ、特に硫黄島の作戦で名実共に米国の誇りとなりました。摺鉢山に星条旗を立てる海兵隊を模した、巨大な硫黄島記念碑がワシントンDCに建てられ、今や米国海兵隊は世界最強の軍隊として、押しも押されもせぬ米国民のトップヒーローなのです。もし日米開戦なかりせば海兵隊の活躍の場はなく、硫黄島の星条旗も存在せず、海兵隊の地位はどうなっていたのでしょうか。

歴史大好き爺さんです。
手強いライバルがあればこそ、自らも強くなれるのです。

参照
アメリカ海兵隊 Wikipedia
硫黄島の星条旗 ジェイムズ・ブラッドリー著

featured image:Military_MaterialによるPixabayからの画像

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