田舎でもあったアメリカ軍の空襲

私が小学生のころに祖母から聞いた戦争体験です。
祖母は関東の農村に生まれ育ち、この話は戦争末期の昭和20年ころの話です。

祖母が生まれた田舎の農村

私の祖母は昭和のはじめころ関東のとある田舎町に生まれました。

昭和20年ころ、日本が本格的に空襲を受け、敗戦が濃厚となっていたこの時期、都市部だけでなく田舎町も空襲の被害に合いました。
祖母の生まれた街は周辺に大きな都市も無く、いたって普通の農村でした。

戦時下の生活

農村部でも常にモノ不足だったようで、さまざまな代用品などが使われていたそうです。
地域ぐるみでの防空訓練などは頻繁に行われていたようで、当時中学生くらいだった祖母も参加し、防空ずきんを被り防空壕へ避難する訓練をよく行っていたそうです。

防空壕の中には「コウリャン」と呼ばれる小麦粉に近い非常食が置かれており、水を加えて団子のようにして食べたそうです。
また近くに日本軍の小さな飛行場があり、日本の空を護っていた戦闘機などが飛ぶ姿をよく目にしていたようです。

アメリカ軍の飛行機がやってきた

そんな生活が続く中、ついに祖母の住んでいた街にもアメリカ軍の戦闘機が襲ってきました。
空襲警報が鳴り響き、街中で防空訓練のときのように一斉に避難を始めました。迎撃に向かうのか日本の戦闘機が頭上をものすごい勢いで飛んでいきました。

足の速かった祖母は一番乗りで防空壕に逃げ込んだそうです。
近所の人たちと身を寄せ集めて蒸し暑くて暗い防空壕に避難です。

外からはすさまじい戦闘機の音が聞こえ、恐怖を覚えたそうです。
不幸中の幸いで大きな被害はありませんでしたが、住民たちのショックは大きく、心の傷跡は大きいものでした。


すらぽん
寺院巡りにハマっています
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