この話は私が小学生の頃に祖父から聞きました。
私の祖父は招集されて中国に出征していたそうです。
祖父は当時としては珍しく自動車を運転できたため、戦車部隊に配属されていたそうです。
しかし日本軍の戦車というのは装甲が薄く、酷いときには敵歩兵が持っている銃で破損するほどに頼りなかったそうです。
ただその装甲の薄さで助かった戦友もいたそうです。
ある戦闘中に戦車に乗車していたところ、突然隣を走っていた戦友の戦車が止まってしまったそうです。不思議に思っていると遥か後方にある丘が爆発したそうです。
よくよく見てみると戦友の戦車には穴が開いており、実は敵の砲弾が直撃したものの装甲が薄すぎて弾が爆発する前に貫通し、後方にある丘を直撃して爆発していたそうです。
ちなみに戦友は敵弾が爆発せずに貫通してくれたおかげで大した怪我もなく無事だったそうです。まさか頼りない装甲のおかげで助かるとは……と笑い話になったそうです。
また祖父が戦地に赴いたころにはすでに戦局は悪化しており食料事情もあまりよくなかったはずですが祖父はあまり飢えに直面しなかったそうです。
その理由は部隊に使い道のない手榴弾がたくさんあったからだそうです。手榴弾が役に立つほどの距離で戦闘をすることなどほぼなく、いざというときの自決用程度にしか使い道がないくせに手軽な武器であるためか多くの補給があったからだそうです。
なぜ手榴弾のおかげで飢えなかったかというと手榴弾で魚をとっていたからだそうです。手榴弾を池や川の中に投げて爆発すると気絶した魚がたくさん浮いてくるそうで、それを食べていたのであまり飢えることはなかったといっていました。
祖父は幸いにも終戦を迎えて無事に日本へ帰ってくることができましたが、離れ離れになった戦友の中にはシベリアに抑留された人もいたらしく祖父は「俺は運がよかった」と話してくれました。
私は少年ながらに戦車や戦艦といったものに興味をもっていた年頃でしたが、兵器対兵器ではない、生の戦争の話を祖父から聞くことができ、戦争についての考え方が少し変わったと思います。
※写真はイメージです。
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