父から聞いた、戦時下の笑い話の様でいてその根底にある物を思うと、うすら寒くなる話を取り上げてみました。
戦時下の内地で父の周りに起きた話、後篇です。
秘密兵器(※)
軍の兵器はおおむね国民には知らされないものです。兵士ですら伝わっていない物が沢山ありました。
例えば高射砲。東京杉並区に「15cm高射砲」なる物がありましたが、当の高射砲兵である父は存在を全く知りませんでした。私が成人してから本で知ったその話をすると、非常に驚いていました。それまでずっと、陸軍の高射砲で最大の物は12cmだと思っていたのです。
ちなみに戦艦大和が国民に秘匿されていた話がありますが、父曰く、「長門より大きな戦艦を隠し持ってるとの噂は常にあった」との事です。
破天荒な教師(※)
父を受け持っていた教師の1人、国語担当の人は、国粋主義思想が非常に強い大学の出身でした。
その行動たるや、常に日本刀を持ち歩いていた程です。授業中ですら、教壇を歩き回りながら刀をぶらぶらさせていました。戦時中は逆にそういった行動には口うるさくなくなるものだそうで、批判する者はいませんでした。
ただいくら当時でも、これほどまでの教師は珍しかったそうです。その先生はしばらく後に兵隊に取られ、音信不通になりました。
見栄を張ったばかりに
父が兵舎に住んでいた時の事です。ある日、御馳走として一頭の生きた豚が運ばれて来ました。父の上官はそれを見て、日本刀を取り出しました。
「よし、これからお前らに刀の使い方を教えてやる。良う見とけよ」
上官は豚を一刀両断出来ると考えたのでしょう。しかし豚は大きく頑丈な身体で、刀の一撃で死ぬものではありません。上官は焦って何度も斬り付けました。その度に豚のおびただしい血飛沫が上がり、絶叫が響き渡ります。
その夜は豚肉食べ放題という豪華なものになりましたが、一部始終を見せられたせいで、誰もがろくに箸を付けなかったとか。
戦争は人の心を蝕みます。次は様々な人達から聞いた戦後の陰をテーマにしようと思いますが、それはまたの機会に――。
とある理由で失職したのを機に、ライター活動開始。
40過ぎの新人として奮闘中。
幼少期の頃聞かされた戦中の話、今思うと戦争の怖さとは、戦闘や空襲だけではないと感じながらキーを撃つ日々を送る。
タイトルの後ろに「※」が付いたものは、文章は異なりますがミクシィや2chでも使った物を補足説明しています、ご了承下さい。
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