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戦中体験者からのちょっとした話 その5~帰還兵編~

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今回は戦中ではなく戦後。帰還兵のお話です。
戦地から生還した人達、その後を集めてみました。

目次

身体は元に戻らない

親戚筋に南方から生還した人がいました。私が生まれる前に病没されましたが、他の親戚から教えてもらえました。

生きて帰っても、身体に砲弾の破片が食い込んだままなうえ栄養失調の状態でした。戦後は普通の人生を歩みましたが、歳を取るにつれて破片の埋まった部分が膨れ上がり瘤となりました。

更に没後、火葬されると骨が普通の人よりも細かく砕けたのだとか。

作者 不明 [Public domain または Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

店のオッチャン

私の勤め先に歳上の女性がいました。名前をFさんとしておきます。ある時、近所に住んでいた商店店主の話をしてくれました。

「私が子供の頃は、傷痍軍人がまだまだおってん」
その店主は、片方の頬が放射状に裂けており、その周囲の肉を無理やり寄せて縫合したので、顔が歪んでいました。幼い頃のFさんにとってその顔はただただ怖く、買い物に行かされるのが嫌で嫌で仕方がありません。

たまりかねて母親に捻じ込みました。
「あの人一体何なん!」
母親は悲しげに答えたそうです。

「あの人はね、大陸で撃たれたんや」
「ふーん」
当時のFさんには意味が分からず、空返事しか出来ませんでした。
「あの時もっと話聞いといたら良かったなぁ」

シベリア抑留

私が勤めていた介護施設の入居者に、ソ連で強制労働させられていた方が2人いました。ある日、職場のTVでシベリア抑留者を取り上げた番組のビデオを流すと、2人はとても機嫌が良くなりました。

やがて番組内で、思想教育を受けた日本兵がスターリンに感謝の手紙を宛てた話が紹介されると、大笑いし始めました。
「そうそう! こういうアホ一杯おってん!」

良き思い出

1995年にNHKで放送された、戦後50周年記念番組の一幕です。

戦地帰りの人達が演説台で話すのですが、他が暗い顔で言葉を絞り出している中に、1人だけ胸を張り笑みを湛える人がいました。
その人は真珠湾攻撃に行った雷撃機乗りだと名乗りました。

See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons

「空母に乗せられ北海道を離れた時は、自分たちはどうなるのかと不安感に押しつぶされそうでした。
「けれども、いざ出撃の朝となると、何とも言えない清々しい気持ちが溢れました。
「1t半しかない機体に800kgの魚雷を吊り下げているわけですから、投下すると身体がぶわーと浮き上がって行くのです」

暗い空気の中、1人だけはしゃいだ様子で話し続けたのです。
以来、「戦争体験者」なる言葉を聞く度にその人を思い出します。

戦中体験者からの話、今後も聞けるかも知れません。いずれまたの機会に――。

MK
戦時を生き抜いてきた人達がその後の人生も元気に過ごされているのを見ると、根本的な生命力が違うのだろうかと思ってしまう今日この頃。

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