大正の頃、祖父は陸軍の兵士として日々を送っていました。
そのエピソードを紹介します。
父はよく、自分の親である祖父を悪く言いました。
曰く「ぐうたらでとにかく働くのが嫌い」、曰く「そのせいで貧乏だった。俺はエンジニアになりたかったのに学校へ行かせてもらわれへんかった」。しかし、そんな父でも祖父を褒める時がありました。
「とにかく頑丈で、本物の精鋭やった」
祖父が大正時代、陸軍にいた時の話になると、父はまるで自分の事の様に熱を帯びた口調で自慢げに話すのです。
父自身、徴兵されていましたが、運動神経が悪い上に小男でした。軍内しかも戦中では苦労の連続だったに違いありません。だから祖父の事を、少なくとも兵士としての部分に限れば、尊敬していたのかも知れません。
父の話では当時の軍備は抑えられており、陸軍も少数精鋭にならざるを得なかったのだそうです。その中でも祖父は目立っていました。
射撃も上手く、狙撃兵の役割に就いていました。また、強いだけでなく身体の柔軟性もあり、80過ぎても開脚座顎付けの姿勢を取る事が出来たのです。

By Tokyo : Shobido & Co (The US LOC image collection) [Public domain], via Wikimedia Commons
当時の徴兵は20歳からなので、ちょうど第1次世界大戦の年(1914年)に徴兵された事になります。そんな時代に軍備を控えていたと言うのも妙な話です。
私が物心ついた頃、祖父はもう80越えていました。軍の話を本人から聞いた事はありません。父からの伝聞のみです。
父にしてもその頃には生まれておらず、傍で見ていたわけではありません。父も鬼籍に入った現在、確かめる術はありません。
そんな不確かな話で宜しければ、とうぞお付き合い下さい。祖父が父に語った大正期の様子を並べてみました。
1)「徴兵制ではあるけれど」
軍事予算が抑えられていたため細かく選考されました。偏平足はもちろんの事、腋臭があるというだけで軍には入れなかったのです。
2)「精鋭」
選び抜かれた当時の兵士達でしたが、行軍訓練はその精鋭ですら次々落伍する程過酷なものでした。
「そんな中でも、俺は一度として倒れた事が無い」
それは祖父の、そして父の自慢でした。

作者 不明 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由
訓練で命を落とす兵士も多かったであろう事、想像に難くありません。
導入部が長くなりました。
次は時代背景が浮かび上がるような、兵士達の話です。
昔、父とタクシーにたまたま乗った処、運転手さんが 「私の父親は南太平洋を転戦していた潜水艦長だった」 と話してくれた。
それに対して父は、 「色んな兵科の奴と知り合ったけど、潜水艦乗りだけは会った事無かった」 などと大興奮。
世の中には奇縁があると思う今日この頃。
Eyecatch image : See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons
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