ある上等兵の日々~大正期の帝国陸軍・後編~

語り継ぐ

大正時代を生きた祖父の軍隊生活、後編です。

豪華な体操服

新兵達が訓練時に着る服は、経費削減のため使い古しの軍服が回されました。それらは作られた時期や使用されていた部署が異なるため、訓練時の服装は、統一性がありません。挙げ句の果てには、明治の将校用だった肋骨服までもが使われていたのだとか。

入営して知った その1

日本は識字率が高く、中世の頃既に世界トップレベルだった事で有名です。

「それでも、中隊に1人くらいは自分の名前書かれへん奴おった」
そういった兵士達には、集中した特別教育が行われたそうです。

入営して知った その2

お菓子を食べた事の無い兵士も少なからずいたそうです。
御馳走であるはずの羊羹や饅頭を出されても、「何やこれ?!」と戸惑うだけだったとか。

入営して知った その3

名古屋の都会っ子である祖父は、入営前から読み書き出来、お菓子も食べていました。

それでも軍に入るまで知らなかった物がありました。靴を履いた事が無かったのです。祖父にとって履物とは、草履や下駄、地下足袋だけでした。

電信部隊の狙撃手

祖父が配属されたのは電信兵。設営された前線基地の周りに通信ケーブルを張り巡らせる係です。無線は精度が悪かったり傍受されたりする弱点があるため、あえて手間をかけたのかも知れません。

祖父はその部隊で、狙撃兵としての役割についていました。

出戻りへのボーナス

よほど軍隊生活が性に合っていたのか、祖父は兵役後も志願して再入隊しています。そうすると階級1つ昇進させてもらえたそうです。

兵役中にひとつ昇進していたので、祖父の最終階級は上等兵となりました。

ドイツ兵との接触

第1次世界大戦中、祖父はドイツ軍捕虜収容所に配属されました。銃剣で捕虜を追い立てるなど、穏やかでない話もあったとの事です。

太平洋戦争時、祖父は高齢のため、父は逆に年齢が低かったため、2人とも戦地に送られる事はありませんでした。父は思うところあるのか、この共通点を良く話題にしたものです。


Writing by MK

「シミュレーションゲーム」と聞くと未だに、地図と正六角形のマス目が書かれたボール紙製のテーブルゲームを連想してしまう。