父と母と戦争と

語り継ぐ

これは父が戦争にいた話を聞いたものです。

父は中国大陸に戦争へ行き、食事などの面倒をみる担当だったようで、その為、食べ物にはあまり負重はしなかったそうですが、終戦まじかのソ連の突然の参戦により、父はソ連に2年間の抑留生活を送りました。

ソ連のシベリア抑留では過酷を極めた事でしょう。

凍える大地での作業と食料不足そこでは、多くの仲間が死に悲惨な状態だったようで、その詳しい内容は話しませんでしたが、想像を絶するような毎日が続いていたことでしょう。

そんな父が無事に帰還して北海道に帰ってから、家業の農業を継いで結婚をしたのです。

母は戦争当時、まだ女学生だったそうですが実家は農業。家の手伝いで農作業を行っているとき米軍の飛行機がやってきて、機関銃を打ってきたそうですが、その時は母は排水の中に逃げて事なきを得たそうです。
母から聞いた戦争の話はそれだけです。

多くの若者が戦争に招集され、無事に帰国できたものはラッキーだった時代が有ったのです。

私は今も父の時代と同じところに住んでいます。
私の村では毎年7月7日に、開村記念祭と並んで戦没者慰霊祭も行ています。慰霊碑には多くの人の名前が刻まれています、身近に感じる名前が多いのですが、近年は身内の人も参列していただける人が減ってきています。

それだけ時が経ったのですね、そして、平和だと思い込んでいる日本人が沢山いるのです。
世界を見ると常に戦争が起こっています、その様な光景を見るにつけ人類の歴史は常に戦争の歴史で、平和だと思って生活の出来ていること自体が数少ない時代なのかもしれません。

先人が苦労して作り上げて来た、この平和に見える時代を続けていかなければならないのです。
それが私達、戦争体験を聞いたものの仕事なのではないでしょうか。


Writing by シナジー

私はすでに60歳を超えています。
生まれたのは戦後の高度成長時代です。
田舎で育った私には、皆が公平に生きていた時期だったように思えるのです。