私の祖母は福島県の農家、そして質屋の生まれです。
戦時中は豪華な暮らしをしていたと話では聞きましたが、写真などを見たことはありません。
最近戦時中の暮らしについて調べることにハマっていまして、祖母にそれを話すとアルバムを見せてくれました。
戦時中、祖母は現在で言う中学生。
どんな生活を送っていたのか、写真で知ることができました。
話できいた祖母の暮らしぶり
話で聞く祖母の暮らしぶりは豪華なものでした。
毎日白米、質屋だから日本刀が蔵にたくさんあった・・・など。
そんな日本刀も、ある理由からすべて奪われてしまいます。
第二次世界大戦、日本は徐々に物資が少なくなっていきます。
金属を集めるために、祖母の家の近くのお寺では鐘が没収され、今でもありません。
その影響は、質屋であった祖母の家にも。
日本刀をはじめ、今残っていたら高価なものすべて奪われてしまいました。
それでも豪華な暮らしをしていたという祖母の話。
アルバムを見て確信しました。
アルバムを見た感想
福島県は田舎で、今でも田んぼや畑が広がる自然豊かな土地です。
父方の祖母の経験は疎開や火災に見舞われ大変なものでしたが、母方の祖母は豪華な暮らしをしていたことを、アルバムを見て確信しました。
学生時代のアルバムの集合写真、ほとんどの生徒がモンペ姿でおさげ。
そんな中祖母は一人だけ、今でも素敵だと思うくらいの制服(ワンピース)に、綺麗に切りそろえられたおかっぱ頭。
そして私に顔がそっくり!笑
「服がおしゃれねってみんなに言われたのよ」
祖母はそう言って、笑っていました。
祖母の暮らしぶりとは
食事の風景がうつった写真では、確かに大盛りの白米。
家でとれたであろう野菜がたくさんうつっていました。
戦時中の食事でイメージするのは、お米が入っていない雑炊とか、芋とか、大体そんな感じですよね。
確かに芋はあったけど、メインじゃない。
普段の写真を見ても、なぎなたの練習など、戦時色の強いものはありましたが、みんな笑顔で楽しそうな写真ばかりでした。
写真は昭和19年、翌年終戦を迎える時期です。
学校で笑顔を浮かべてポーズを決める女生徒、勉強に励む姿。
祖母は玉音放送を聞いて「何言ってるのかわからなかった」と言っていましたが、確かに戦争には、少し遠いイメージがあったのかな、と思いました。
祖母はこうやって生きてきた
祖母は、アルバムを見せながら、「私はこうやって生きてきたんだよ」と言いました。
戦争に関しては、悲惨な話をする人も多いですし、それがルールというか、縛りになって、戦争の話をしたがらない人もいますよね。
でも、悲惨なだけじゃなくて、笑顔になることも、楽しいことも、嬉しいことも、恋も、絶対にあったはずです。
そんな生活の中で起きた悲惨な出来事、だからより一層、その悲惨さや、繰り返してはいけないという気持ちが大きくなる気がしました。
だからこそ、当時生きた人の、普通の生活、嬉しかったこと、楽しかったこと、恋をしたこと、そういった話が大事なのかな、と思いました。
※写真はイメージです。
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