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戦時中のロシア人との絆

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この話は、戦争に行っていたおじいちゃんに聞いた話で、戦時中満州からロシアに行っていました。
おじいちゃんは、どうせ戦争に行くのなら少しでも偉くなりたいと思った。

万種からロシアへ、馬に乗りかなり長距離を進んだため、食べ物も飲み物も底をつきてしまいました。
仕方なく、そばにあった死体が転がっている川の水を飲むことになり、死体から血が流れており、少しでもきれいなところを探して飲んだそうです。
その場面は戦争から帰ってきたあとも、時々思い出して苦しい気持ちになり、フラッシュバックに長年悩まされ、お酒を飲むことでなんとか落ち着かせていました。

その後、ロシア方面へ渡ったおじいちゃんは、ロシア人に捕まってしまい捕虜となりました。
捕虜というと、暴行されたり、こきを使われたりと、悲惨なイメージがありますが、おじいちゃんはユーモアのある人で捕虜をとりまとめていたロシア人の家族にとても気に入ってもらえたそうです。
捕虜になっても、食事はきちんと与えられ苦しい生活はしなかったと言っていました。

ロシア人の家族には子どもがおり、その子どもの面倒をみたり、家事を手伝ったりしていました。
当時20代前半だったおじいちゃんは、ロシア人の子どもからしたら、たくさん遊んでくれる優しいお兄ちゃんだと思ったのかもしれません。

そして日本が戦争に負け、日本人が引きあげる時、ロシア人の家族はおじいちゃんに、「どうか帰らないでくれ、あなたはロシアでお嫁さんを見つけてロシアに住んでほしい。」と言われます。しかしおじいちゃんは、たくさんの兄弟姉妹が日本にいて長男なので、「申し訳ないがロシアには残れない。」と伝えたそうです。

ロシア人の家族たちはとても悲しそうにしていましたが、お別れをしておじいちゃんは日本に帰ってきたのでした。

それから時が経ち、おじいちゃんは住んでいた四国から、ロシアに近い北海道に移住します。ロシアに行くことは無かったのですが、少しでもロシアの近くにいたかったのかな?
そこにはロシア人家族との絆が見えました。

※画像はイメージです。

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