この話は、私が数年前に出会ったおじいさんの話です。戦時中おじいさんは南方の方に戦争に行っていました。
おじいさんは軍医をしていました。
おじいさんは90歳を超えています。そもそも、戦時中を経験した人はもうほとんど生き残っておらず、今は戦友会などもほとんどの人がなくなりつい10年前ぐらいを境に活動ができなくなってしまったそうです。この話は、靖国神社で出会ったおじいさんに聞いた話です。
当時、昭和19年、まだ日本が優勢だった頃、おじいさんは軍医として南方に渡りました。ですが、マニラに行くまでの間に九州から台湾の高雄というところまで船で行き、そしてマニラなどがある東南アジアまで荷物のように一般の若者やごく普通の人々が運ばれ、軍人としてほとんどの人が命を落としたそうです。
軍隊にとられた人々は、ほとんどが商人や農家の人、大工などほんとうに武器も触ったことのない、むしろ人なんて殺したこともないような普通の人でした。戦況が悪化していくと日本は、そんな特別な軍の訓練も受けてないような人まで犠牲にしたのです。
そもそも、戦地に行くまでの間でも敵船の奇襲でいくつもの船が魚雷によって沈没させられ、たくさんの人が戦いもせず、家族と離れ離れになり、命を落としていきました。
そして、運よく戦地にたどり着いても食料がなく食べるものがない状態で飢餓との闘い、そして、原住民との戦いや色々な苦労がありました。そして日本が負けそうになったころ、上からの命令で玉砕を命じられた人たちは、極限の状態の中で次々に自殺という形で敵の戦車の前に突っ込んでいき、命を落としていきました。
何とか生き延びた人でも、飢餓に苦しみマラリアなどの伝染病に侵され病気で死ぬ人もいれば、餓死していく人もいたそうです。なかには、死んでしまった仲間の兵隊の人肉を食べる人もいたそうで、気が狂うほどの状態に陥っていたそうです。
おじいさんは、敵に捕虜として連れられてなんとか運よく日本に無事帰って医者をしていたそうですが、とても悲惨な状況だったそうです。
今でも時々仲間の兵隊のことを夢に見るそうです。
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