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大日本帝国軍将兵は、何故降伏せず玉砕を選んだのか。

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太平洋戦争中の多くの戦線で日本軍の部隊玉砕が続出しました。
必敗と分かっている戦況で、日本兵は何故、死ぬしかない万歳突撃命令に服し、唯々として全滅していったのでしょうか。

現代の日本人には理解不能のその理由は?

目次

上官ノ命令ハ、朕ノ命令ト心得ヨ

この文言は軍人勅諭の一部です。

軍人勅諭とは、神であり大日本帝国軍を統帥する大元帥でもある天皇が有難くも陸海軍軍人に下賜された、軍人としてのあるべき姿勢や心得を示した訓示です。
即ち命令は絶対的なもので、如何な無理難題でも理屈に合わなくても、軍人は上官の命令には全て従わなくてはなりませんでした。
また「義ハ山嶽ヨリ重ク、死ハ鴻毛ヨリ軽シト心得ヨ」ともあり、国の為に死ぬのを厭わぬ事を要求しています。

その上に陸軍では、陸軍大臣・東条英機が出した先陣訓の中に「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」という一節もあります。
先陣訓とは命令に他なりません。

軍隊で徹底的にこれら精神を叩きこまれた大日本帝国将兵は、戦場から生きて帰る為には戦勝以外に選択肢はない状況下に置かれていました。

大政翼賛会と隣組

それでも今の日本人には理解し難いでしょう。軍隊から逃げれば良いと言う人もいます。

当時、日本国内には大政翼賛会なる組織がありました。大政とは天皇の政治、翼賛とは賛意をもって助ける事です。
大政翼賛会は、日中戦争が泥沼化する中、国民全てが戦争遂行に協力すべく作られた組織で、その目的の為に政党全てが解散させられて大政翼賛会に吸収されてしまいます。政治的には独裁政治の始まりです。
そしてその最下部組織として「隣組」が町内会に作られ、国民一人々々まで挙国一致・聖戦完遂の旗の下に組織化されました。

また退役軍人で構成される帝国在郷軍人会が別にあり、軍人精神や軍事知識を広める事による国民の指導的役割を担っていました。
その他にも公官立の中学校(今の高校)以上の学校では、軍から派遣された配属将校の指導の下、軍事的予備技術・知識を習得させる軍事教練が義務化されていました。

つまり日本国民はその端々にまで軍の網に絡め捕られていたのです。

玉砕しか道はない

この様な国内事情の下、上官の命令に背いたり戦場から負けて帰国した不名誉な将兵が日本人として生きて行く余地は、当時の日本にはありませんでした。
そして自分がそんな汚名を被った時、その家族親類が生活する術を失うのは明白なのです。

そう考えると戦地将兵の気持ちの一端を理解する事ができます。
こうして、多くの日本将兵が無謀な命令一下玉砕し、動けない傷病兵や戦災に巻き込まれた市民でさえ自殺を遂げていきました。

 

歴史大好き爺さん
唯一つの考え方のみが正しいとする社会は、歪で不自然で怖い社会です。
民主主義は面倒で辛気臭くて手間のかかる制度ですが、 誰もが自分の意見を主張できるというその一点のみで守る価値があります。

※画像はイメージです。

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