一枚の古びた布がある・・・祖父が出征するときに贈られた千人針だ。
この布は今は亡き二人の仏壇の中にひっそりとしまってある。
祖父死後、戦時中の帽子、飯ごうとともに倉庫から発見されたのだ。
祖父に届いた赤紙
祖父に赤紙が届いたのは、祖母が第三子である伯母を妊娠したばかりの頃だったという。
そのころ祖父は32歳、祖母は29歳だった。
幼い子ども2人とお腹に一人、私も子供をもった今、改めて大変だったろうな、と思う。
一人残された祖母はさぞ落胆して苦労しただろう、と思っていたが、そこは少し違った。
祖母は妊娠初期でありながら、たくましく農作業をせっせとし、なんと軍隊に農作物を納めるという販路を築いたのだ。
強い母
いつだったか祖母の兄弟たちが、口をそろえて「うまいことやっていた」と言っていたのを聞いたことがある。
やはり「母は強し」だ。
そんな気が強く負けん気も強い祖母が、懐かしい顔をして語っていたのが、伯母の名前にまつわる祖父とのエピソードだ。
出征して半年程たったころ、戦地より(祖父は中国に渡っていたようだ)手紙が届いた。
そこにはもうすぐ臨月を迎える祖母へのいたわりの言葉とともに、「男だったら 真一 女だったら真子 と名付けてほしい」と書いてあったそうだ。
そして「いつの日か真一か真子に会う日を楽しみにしている」と結ばれていたという。
戦後
祖母はのちに認知症になるのだが、この祖父がくれた「ラブレター」の話は、いつも、まるで今日初めて披露するように初々しく喜々として話すのだった。
気を張って生活する毎日のなかで、祖父のこの手紙は祖母を支え続けたのだろう。
もちろん伯母の名前は「真子」。
その後祖父が真子伯母さんを抱っこできたのは、二年の後になる。
激戦だった中国大陸から生還できたのは、きっと千人針の効果があったのだろう。
仏壇の中に眠る千人針を思い出すたびに、若かった祖母の奮闘の日々と祖父の深い愛情を感じる話である。
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