幻の航続飛行距離世界記録

1940年(昭和15年)開催予定だった東京オリンピックの中止は日中戦争の長期化が原因です。
そればかりか、実は開催計画が持ち上がっていた日本万国博覧会も同様も取り止めになりました。
そして戦争の悪影響はそれだけではありません。

東京・ニューヨーク間無着陸親善飛行

昭和15年(1940年)は日本紀元2600年にあたります。
朝日新聞社は、この記念行事として、東京・ニューヨーク間無着陸飛行親善旅行を計画、発表しました。
そしてこれに使用する長距離飛行機開発を、東大航空研究所が担当する事になりました。

しかし日中戦争の長期化泥沼化や対米戦争の可能性が高まる中、この計画は一旦に中止なります。
ところが以前より遠距離司令部偵察機及び長距離戦略爆撃機・キ74を計画していた陸軍がその類まれな長距離飛行性能に注目し、 キ74開発を担当していた立川飛行機が製作を引き継ぐ事になりました。
その為、キ74開発は発展的に解消され、機体名称A-26開発に切り替わりました。
Aは朝日新聞の頭文字、26は皇紀2600年に因みます。

■キ74(A-26) US Army / Public domain

幻の世界記録

昭和17年(1942年)に2機のA-26 が完成し、1号機が立川~シンガポール往復飛行に成功します。
その後、2号機はドイツ戦時連絡飛行に使用される事になりました。
長友飛行士や塚越機関士など朝日新聞クルー5名、陸軍将校3人が乗り込んだ2号機は福生飛行場からシンガポールまで飛行した後、 ドイツ軍占領地クリミア半島セバストポールまでの約8000kmの飛行に出発しました。
しかし2号機はそのまま消息不明となってしまいます。

昭和19年(1944年)、残った1号機は小俣寿男機長、田中久義操縦士ら6名乗務で、 新京(現・長春)、ハルビン、白城子の三角コース16435kmを57時間12分で飛行する事に成功しました。
これは周回航続距離および速度国際記録の世界記録にあたります。
ただし戦時下であった為に、残念な事にこの記録はFAI(国際航空連盟)公式記録にはなっていません。

この飛行後、燃料はまだ約800キロリットル残っており、飛び続ければ飛行距離18000kmに達したと予想されます。
これは、東京からニューヨークを越えてブラジル・リオデジャネイロに至る距離で、 3年後にボーイングB29が作った公式世界記録の14520kmを遥かに超えています。

あの戦争はこの様な日本人による素晴らしい記録を台無しにしました。
全く惜しい事をしたと思わざるを得ません。

歴史大好き爺さんです。
当然の事ですが、戦争の悪影響は様々な所に現れます。

参照「続々・飛べヒコーキ」佐貫亦男著

eyecatch source:US Army / Public domain

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