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日清日露戦役、海戦勝利の真の殊勲者「山本権兵衛」

日清日露の海戦勝利によって讃えられるべきは、東郷平八郎や秋山真之だけではありません。

目次

硬骨漢

山本権兵衛(ごんべえ、又はごんのひょうえ)は、西郷隆盛、大久保利通の故郷、薩摩加治屋町の出身で、東郷平八郎とは同郷の上、海軍兵学寮(兵学校の前身)では一年下の後輩でした。

その気質は相当強気の硬骨漢。
砲弾運びで薩英戦争に参加したのは満10歳。16歳の時で、18歳以上の藩兵募集に年齢を偽ってまで応募し、戊辰戦争にも従軍しています。

兵学寮時代には職員による寮費不正使用に対し寮長などに直談判したり、寮生同士の取っ組み合いの喧嘩に割って入り、双方の頭を殴ってから、自分が相手だと脅すという仲裁で収めたとか。

また海軍省での逸話も伝わっています。
西郷従道(つぐみち・西郷隆盛の弟)が陸軍中将のまま海軍大臣に赴任した時、少佐だった山本に西郷大臣は海軍の現況調査書提出を命じます。
つまり門外漢の西郷長官が海軍の現状を把握しようとしたのです。そして山本が丹念に作成した報告書は、提出後1週間で大臣から戻されました。その時、山本少佐が中将である大臣に対し怒りをぶつけます。
海軍に長年奉職した自分が7ヶ月かけた報告書を、陸軍のあなたが立った1週間で分かるはずがない、というのです。
硬骨漢の山本権兵衛、面目躍如。

因みに上官に対する無礼ともいえるその言い分に、しかし西郷大臣は怒る事もなく納得し、さらに1週間報告書を預かりました。
再びそれが返された時、大臣が言いました。
「やっぱり、読まなかったよ」
それに対し山本はこう答えます。
「読んでも分からんから、万事を任すということでしょうか? それなら分かります」

こうして西郷従道の全面的なバックアップを得て、山本権兵衛の大活躍が始まりました。

大リストラ

日清戦争の3年前、山本は現役将官8名、尉佐官89名を予備役とする大リストラを敢行します。
あの剛腹な西郷大臣でさえ、海軍運営に支障が出ることを危惧したほどの大きな人員整理でした。

明治政府発足から20余年。当時の海軍の指揮官クラスには、維新の功労者つまり自他共に軍功の誉れ高い人々が滞留していました。
一方で、兵学寮改め兵学校で正式、本式、新式の教育を受けた、若い士官たちが続々誕生してもいました。

その時代の海軍の兵器は日進月歩の進歩変革が世界的な潮流で、維新からの現場叩き上げの将官士官と、兵学校で最新知識技術を学んだ人たちとの間には、大きさ差が出始めていました。
その上、古い思考知識の先輩たちが指揮官の地位を占めてしまっているため、若い新鋭指揮官の能力を活かす場が制限されていました。

この状態を帝国海軍の近代化にとって大きな障害だと考えた山本は、人員の大幅な一新を断行したのです。
当然、これには内外からの大反発が生じましたが、山本と同郷の薩摩出身が削減人員の中に大勢い含まれるなど、純粋に能力重視の判別がなされたこの人事を、持ち前の硬骨漢振りと西郷大臣の援助によって、山本は敢行し切りました。

人事刷新された若き帝国連合艦隊が、世界最大級の戦艦を誇る老大国清国・北洋艦隊に勝利したのは、この1年後のことでした。

日露戦争に向けて

日清戦争後、中国大陸で勢力拡大を目指すロシアが日本の次の脅威となりました。
大国ロシアの強大な海軍力に対抗するために、少将中将と昇進し、海軍省で軍務局長から大臣と要職を務めながら、山本は積極的に対露対策を進めます。

その対策のポイントは軍艦など海上戦力の増強整備だけに止まらない、それを支える後方戦備の充実でした。
軍備の国産化を推進するため、海軍工廠その他の製鉄所や造船所など軍需工場を拡充し、高燃焼効率で煙が少ないイギリス・カージフ炭を採用し備蓄を進めました。
また若い士官の海外留学を推進し、その中には秋山真之や広瀬隆雄などもいました。
もちろん海上戦力の積極拡充も行います。
ある主力軍艦の発注が予算不足で不可能となった時、西郷大臣と許可を得て他の予算の流用という憲法違反まがいの手法で、これを強引に購入しました。それが連合艦隊旗艦となった三笠です。

こうして近代化された帝国海軍連合艦隊が、満を持してロシア艦隊を迎え撃つことになるのです。

山本権兵衛は憂鬱?

日清日露の海戦で帝国海軍は見事な連勝を勝ち取りました。
新政府発足から苦節40年、新興日本がいよいよ世界の列強に並んだと国中が興奮しました。

「帝国海軍は強いぞ」という圧倒的な喜びの中に、奢りや慢心が混じり始めていても不思議はありません。
大国の海軍に勝利した日本海軍は神国の無敵海軍なのかもしれないという、根拠のない夢想がそこにはあり、時間を経るほどに国民や海軍指導者の中に、その感情は増殖していったのではないでしょうか。
そしてこの感情を背景として、日本海軍は国力の現実を無視した戦争に突き進んでいったとも考えられます。

もしそうであれば、山本が作り上げた世界が認める近代的海軍の勝利が、最終的に国家存亡の危機に瀕するような敗戦の遠因の一つだった可能性もあります。
山本権兵衛はあの世で、この歴史の残酷な皮肉をどのように見ていたのでしょうか。

歴史大好きじいさんです。
戦争は戦場だけで行われるものではありません。

参照
日本海軍の興亡 半藤一利 著
WEBほのぼの日本史 第二本帝国海軍はどうして強くなったの? 
WEB歴史街道 山本権兵衛

featured image:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

※画像はイメージです。

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