皆さんはインターネットでまことしやかに囁かれる都市伝説、「山の牧場」をご存知ですか?怪談師・中山市朗の十八番なので、YouTubeの心霊系動画で視聴した方も多そうですね。
謎に満ちた山の牧場の正体とは一体なんなのでしょうか?この施設ではどんな実験が行われていたのでしょうか?アメリカの都市伝説メン・イン・ブラックと絡め、考察していきたいと思います。
実話怪談「山の牧場」体験者にして語り手 中山市朗の経歴
まずは「山の牧場」で奇怪な体験をした中山市朗のプロフィールをご紹介します。
中山市朗は1959年生まれ、兵庫県出身の65歳。小説家・放送作家・オカルト研究家を経て、映像作家の登竜門、「中山市朗作劇塾」を開設した怪談師です。
オカルト界隈で一躍彼の名を知らしめたのは、1990年に木原浩勝と共著で出版した『新・耳・袋〜あなたの隣の怖い話』。1998年には『新耳袋・現代百物語』と改題されメディアファクトリーより復刊し、怪異収集家としての地位を確立しました。短い章立ての怪談を集めた『新耳袋』シリーズは累計発行部数120万部のベストセラーとなり、幾度ものドラマ化・映画化を経て、今日に至るJホラーブームの原点と目されています。
ホラーミステリー作家の京極夏彦や文芸評論家の東雅夫とも懇意な間柄で、1999年には怪談の文化振興を目的にした「怪談之怪」を起ち上げました。「山の牧場」は『新耳袋』第四夜に収録された中山市朗の青年期の体験談で、謎めいたストーリーが一際不気味な余韻を残し、ネットの語り草となっています。
はじまりは映画制作を兼ねた学生たちの夏合宿
事件の発端は1982年の夏に遡ります。82年当時大阪芸術大学映像計画学科の学生だった中山氏は、卒業制作の映画撮影の為、仲間たちと夏合宿に向かいました。
撮影の大半が終了し殆どの学生が大阪に帰るのを見送ったのち、監督の中山氏・カメラマン・記録係・編集係の4人は中山の友人に車の運転を頼み、残りのカットを撮りに地元の山を目指します。
しかしなかなかピンとくるロケーションに出会えず、山中をうろうろ徘徊していた時に、偶然未舗装の林道を発見しました。
一行はこの先に最高のロケ地があるかもしれないと期待をかけ、曲がりくねった林道を進んでいきます。
しばらく行くと道端に錆びたドラム缶が現れ、そこに白いペンキで「あと30メートル」と書かれていました。
謎のカウントは数十メートル間隔で続き、20メートル・15メートル・10メートルとだんだん近付いてきました。「終点」と書かれた最後のドラム缶を確認後、車を止めて下りた一行の正面に、真っ赤な屋根を冠した、二階建ての施設が立ち塞がります。敷地内には使われてない牛舎もあり、荒廃しきった雰囲気が漂っていました。
こんな立派な牧場が山の上にあったら噂になるはずなのに……と、地元出身のメンバーは不思議がっています。
謎の牧場の跡地に興味を示し、好奇心に駆られて探索に乗り出す一行。牛舎の屋根は何故か陥没し、近くにはトラクターがひっくり返っていました。敷地内には平屋建ての別棟も存在し、内部には割れた試験管やビーカーの破片が散乱しています。何かの研究所でしょうか?他に目を引くものといえば事務所内に置いてある巨石。それは明らかにドアの幅より大きく、どうやって運び入れたのか謎でした。
薄ら寒いものを覚えながら別棟を出た一行は、いよいよ問題の施設に近寄り、まずは一階を検めます。
片隅に石灰の袋が積まれたガランとした空間には、二階へ続く階段がもうけられておらず、一行はますますもって困惑を深めました。
二階が職員寮として使われていたと仮定しても、出入りの手段がないのは異常です。
二階の窓を覗くと……
一行は施設の裏手に回り込み、灌木が生えた斜面をよじのぼったのち、建物の二階に飛び移りました。窓から中を覗いてみたところ、そこには異様な光景が広がっており、全員揃って息を呑みます。
二階にはL字型の廊下が伸びており、突き当たりは壁で塞がっています。数個部屋が並んでいるものの浴室やトイレは存在せず、ここが職員寮だとしたら、どんな暮らしをしていたのか想像できません。むしろ監禁部屋と言った方が近い印象です。
鍵が掛かってない窓から侵入した一行が角部屋のドアを開けると、中は腐った畳を敷き詰めた六畳ほどの和室で、数十体の人形が仰向けに散らばっていました。人形の種類は様々……雛人形・博多人形・市松人形・キューピー人形、はてはリカちゃん人形に至るまで、死屍累々と打ち捨てられていました。
押し入れの襖は倒れており、部屋の四面と天井は大量のお札で覆われ、襖の表面には「たすけて」と書かれています。その字にはドラム缶の道標と同じ、白いペンキが使われていました。
施設から脱出、そして……
異常な光景に戦慄した一行は、命からがら窓から抜け出し、庇を伝ってLの縦棒部分に回り込みます。
その際目撃した別の部屋の内部には人形と医学書が落ち、壁には定規で測ったような四角四面の字体で、解読不能な文字が殴り書きされていました。
中山氏は窓を開けて部屋に入り、医学書の近くに落ちていたメモ帳を拾ってみます。
その帳面もまた複雑な数式と文字列に埋め尽くされ、最終ページには人体部位を線で区切った、解剖図じみたイラストが……。
すっかり肝が縮み上がった一行は慌てて車に飛び乗り、山の牧場を後にしました。
宇宙人の実験施設?山の牧場の正体とは
以上が中山市朗の体験した山の牧場での出来事です。この怪談は様々な憶測を呼び、山の牧場の正体を巡る、千差万別の考察が飛び交いました。
中でも有力視されているのが宇宙人の研究所説。宇宙人が拉致した人々を二階に監禁し、何かの実験台にしていたと考える根拠は、メモ帳最終ページのイラストと壁に書き綴られた文字列です。
中山氏が目の当たりにした文字は、地球上のいかなる言語体系にも属さない一方で、不可思議な法則性を持っていました。
二階に夥しく散らばっていた人形は、宇宙人が地球人の体の仕組みを学ぶ、教材にしたのではないでしょうか?
牧場の跡地がある山では、昔からUFOの目撃証言が後を絶たないそうです。UFOの秘密基地以外にも、某企業が税金対策に建てたダミー牧場の噂が立っていますが、だとしたら地元民が全く知らないのは不自然ですね。
後年北野誠の番組クルーが取材に訪れた際は経営者が入っていたものの、数年後には蒸発し、空っぽの施設だけが取り残されています。
2020年以降、山の牧場はさらなる変容を遂げました。二階奥に女性が監禁されていた形跡のある第三の部屋が見付かるのですが、そこは出入口の窓以外、三面がコンクリートの壁で塞がれていたのです。
室内にはアジア各国への渡航記録が記されたパスポートが、ベッドの上には郵便番号と住所がデタラメな名刺が放置されていました。
さらに子細に調べてみたところ、82年当時と違い、多数の小便器を設置した個室が二階に増えていたのです。
されど奥の部屋に閉じ込められていたのは女性……小便器を使っていた男性の痕跡は確認できません。
山の牧場は現在も人知れず改築・増築を繰り返しており、外からは二階に継ぎ足しされた、三階部分の存在が観測できます。廃墟には電気・水道・ガスが通ってないにもかかわらず、付近の変電施設が稼働を続けているのも、ただならぬ違和感をもたらしました。
宇宙人の暗躍を匂わす後日談
取材終了後、「山の牧場」から帰還したスタッフの身に奇妙な出来事が降りかかりました。
ある雪の朝にアパートを出ると、自室のドアの前にポツンと小さい足跡があったのです。その足跡には行き来した形跡がなく、瞬間移動したように一対だけ穿たれていました。
中山氏は山の牧場に関わった人間のうち何名かが、不審な失踪を遂げていると語ります。彼等はどこに行ってしまった……あるいは連れ去られたのでしょうか?
スタッフの家の前に現れた足跡は、これ以上首を突っ込むなと警告する、宇宙人の仕業なのでしょうか。
※画像はイメージです。
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