山本五十六は日本の敗北を思った?

  • 2020-03-04
  • 2020-03-03
  • 戦史
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ミッドウェイ海戦で主力空母4隻を失なった時、連合艦隊司令長官として作戦を指揮していた山本五十六は、はるか後方の旗艦大和で将棋を指しながら平然としていたと伝わっており、今に至っても彼の悪評の原因になっています。

彼のその時の心境は一体・・・?

対米開戦反対の急先鋒、そして連合艦隊司令長官

撮影: 海軍省Ministry of the Navy / Public domain

周知の通り、山本は対米戦争に終始一貫反対をしていました。
それは米国留学や駐米大使館付武官時代に米国を研究し、米国国力の底力を真に理解していたからです。

海軍省次官時代には、反米英及び日独伊三国同盟推進派による暗殺の恐れさえありました。
そんな山本が望まぬ連合艦隊司令長官に就任したのは、中央政界にいたのでは暗殺される可能性があると危惧した米内光政海軍相による働きかけだったと言われています。

連合艦隊司令長官として対米開戦

心ならずも対米戦争の総指揮を執る事になった山本は、元来から対米戦争即ち日本敗北の考えでした。
しかし司令官を拝命した以上は軍人として戦い、そして少なくとも日本が負けない為に最善の方策をとらなければなりません。
その結果が真珠湾攻撃でした。

この作戦についてはおおよそ成功の見込みが薄い、賭けに等しい作戦だと海軍内部でも根強い反対がありました。
日本海軍の対米作戦は明治40年に仮想敵国を米国とした時から始まっています。
その方針は、太平洋を渡航来航する米艦隊に対する逐次攻撃による勢力の漸減後、決戦によって撃退する漸減邀撃漸減作戦でした。

しかしこれでは戦争長期化に日本の国力は耐えられず敗北必至と考えていた山本の、奇襲による短期決戦論は、 真っ向から長年のこの対米作戦を否定するものだったのです。
それでも強硬に真珠湾攻撃を敢行した山本は、作戦終了後に戦果の中に米空母がないと知った時、本音では作戦失敗を思ったかもしれません。

ミッドウェイ海戦

USN / Public domain

その文脈で推測すると、山本にとってミッドウェイ作戦は、米空母戦力を叩いて真珠湾攻撃での失敗を補う為の最後の作戦だったのではないでしょうか。

軍令部とは違い、連合艦隊司令部が作戦主目的を敵空母撃滅としていた事は事実です。
だから味方主力空母喪失を知った山本の態度は、「これで日本敗北は決まった」という気持ちの表れだったと考える事ができます。

真珠湾奇襲同等に賭けの要素が強いこの作戦を再度強行した山本の真意は、やはり米海軍力を短期に壊滅する事による早期の有利な終戦だったのです。
戦艦主力の従来型海軍力を否定して航空戦力にそれを求めており、日米国力差を熟知していた山本には 将来の日本敗北が鮮明に見えていたのではないでしょうか。


歴史大好き爺さん
歴史大好き爺さんです。

eyecatch source: Unknown author / Public domain

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