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なぜ雪風は強運の不沈艦になったのか?

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駆逐艦・雪風が強運の不沈艦になり得たのは、単に幸運のみの結果ではなさそうです。
では、一体原因はなんだったのでしょうか?

目次

駆逐艦・雪風

昭和15年竣工の駆逐艦・雪風は、太平洋戦争開戦時のスラバヤ沖海戦から、 戦艦・大和も出陣した帝国海軍最後の特攻作戦・沖の岬海戦まで、 16回以上の主な海戦に参戦して戦果を上げながらも、重大な損害もなく終戦まで生き残った数少ない艦艇です。
そのため幸運、強運の不沈艦と自他共に認められた奇跡の軍艦です。

駆逐艦

駆逐艦は、艦隊の主要艦及び輸送船団の護衛や、肉薄攻撃が必要な水雷を主任務とするため、 危険が大きく損傷率の高い軍艦でした。
その任務の性質上、高速行動の必要性から小型軽量なため大型戦艦のような厚い装甲を持たず、それ故に防御性能が低いばかりか、 巨大な波濤に直面する外洋航行そのものが危険なほどの船体強度しか備えておらず、「ブリキ缶(艦)」とさえ呼ばれていました。

駆逐艦の生き残り策

そんな脆弱な駆逐艦が激しい戦火の中で生き残る為には、高速で機敏な行動が不可欠で、そして艦船を動かすのは艦長から水兵に至る全要員ですから、それら乗員の技量の優劣が艦の運命を左右します。
その技量を高めるのは厳しい日々の訓練で、従って駆逐艦の訓練は特に厳しいものでした。

Shizuo Fukui / Public domain

艦風

会社に社風があるように軍艦にもそれぞれ雰囲気がありました。雪風の艦風を一口で表すと合理性でした。

雪風の訓練もご多分に漏れずに厳しいのもでしたが、上官を呼ぶ時に階級の後に加える「殿」の敬称は略されていました。
それは本来戦闘非常時の措置であり、平時でもそれが適用されるほどにその訓練は苛酷でした。

また上官に対する敬礼も朝一回の敬礼のみで以後は省略してもよく、 これは規律の緩さではなく、激しい訓練を優先する合理性によるものです。

反面、訓練後は艦長が浴衣で乗員と交わるような、和気藹々として雰囲気があったのも雪風特有の艦風で、 それは全乗員の一体感を重視したものでした。
人員の少ない駆逐艦では、大人数の大型艦にはない忙しさがあります。

礼儀優先の行動や下士官による無意味な鉄拳制裁など、不必要な無駄を許す余裕などは駆逐艦雪風にはありませんでした。
この艦風は全て、艦の生き残りのために必要な、高度な技量を持つ乗員育成と、 その全員の連帯感を維持するために不可欠な合理性だったのです。

強運の不沈艦

この艦風を歴代の艦長が大切に守り、継承しました。
雪風には、豪傑、人情家、操艦名人、冷静沈着などそれぞれに特徴を有す名艦長が続き、 それら歴代艦長が部下を信用し、また部下たちが艦長を誇りにし信頼し続けました。

その正真正銘の一体感こそが、数多の激戦をくぐり抜け生き残った雪風が、 強運の不沈艦という尊称を与えられた真の理由なのです。

歴史大好きじいさんです。
歴史には稀に奇跡が起こります。

参照:「駆逐艦 雪風」二宮隆雄 著
eyecatch source: See page for author / Public domain

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