大日本帝国海軍の、世界に誇る零式(レイシキ)艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦が戦争当初には連戦連勝だったにも関わらず何故、またどのようにして米軍機に勝てなくなっていったのか、具体的に見ていきます。
太平洋戦争初頭、世界最高の戦闘機と敵さえも称賛した零戦(本来はレイセンと呼びます)が、最終的に何故勝てなかったのでしょうか。
寄る所敵無しの零戦ならば、連合軍戦闘機を全滅させても良い様なものですが、史実は時間の経過と共に零戦が負ける事が増えて行きます。
「敵だって工夫するさ」、「米軍の物量に負けた」などは当然思いつく理由です。
米軍の工夫
工夫とは戦闘機同士の空中格闘戦の際の技術である格闘技における工夫です。
空戦の基本は敵機後方に着く事です。
零戦が空中格闘に優れていたのは、軽量で高速な為に小さな半径で回転が出来て、重鈍な敵機の後ろに着く事が容易だったからです。
この事を悟った米軍は、巴戦・ドッグファイトとも言われるこの戦闘機同士の戦いにおいて、決して零戦と1対1で臨まない命令を出しました。
サッチ・ウィーブと呼ばれる零戦1機に対し2機1組で互いに僚機を援護しながらの空戦戦術を徹底しました。
また1対1になった場合、零戦と格闘戦をしてはいけないという命令さえ出ていました。
攻撃は「一撃離脱」を基本としました。これは上方から高速接近し、一撃だけ攻撃してそのまま全速で降下を続けて、謂わば逃げ切る戦法です。
不時着により捕獲した零戦機体を分析した結果、軽い零戦の機体はそれだけ弱く、頑丈な米軍機の急降下速度には耐えられない事が判明して練られた対策でした。
また零戦の防御力の弱さも分かりました。極端に軽量化を図った零戦は、搭乗員や燃料タンクを被弾から守る防御が十分ではないのでした。
だから重火器で要所を一撃してやればたちまち飛行不能になるのです。前述の一撃離脱戦法はこの点からも有効な戦法と言えます。
国力の差
物量とは、もっと正確に言うと品質です。
米軍は本国の優秀な生産技術をもって、今までにない大出力の大きなエンジンを開発し、高速高防弾の上に重火器を搭載した新型戦闘機を次々に作り上げました。
米海軍のチャンスヴォートF4EコルセアやグラマンF6Fヘルキャット、陸軍のロッキードP38ライトニングなどです。
■P38 ライトニング
生産力の大きな米国は大量にしかも素早くこれら新鋭機を前線に送り込んで来たのです。まさに米軍の物量作戦でした。日本軍も持てる国力を目一杯使って零戦後継の新鋭機を開発していきますが、工業技術・工業生産量の彼我の差は如何とも為し難く、急速に劣勢の色合いを強めていくのでした。
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