勝ち過ぎた零戦が、壊滅的大敗を呼び込んだのでは?

武田信玄は「戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中、十を下とす。」と言ったそうです。
大戦初期の零戦の勝ちぶりは正に十でした・・・

零戦の圧倒的な勝利

零戦のデビューは太平洋戦争前、日中戦争真っ只中の中国戦線でした。
13機の零戦が味方の損失なしで、中国軍のソ連製戦闘機27機を全て撃墜したのが初戦果です。
以後、日米開戦までの約一年間の中国戦線における戦果は敵機撃墜撃破266機に上ります。

そして驚くべき事に、中国戦線に配備された零戦の全機数はたった30機内外で、その損害は地上砲火による2機のみでした。
つまり敵機との空中戦では1機も失わない完勝だったのです。

また太平洋戦争開戦時、フィリピン攻略作戦の初戦で米航空兵力の1/3以上にあたる約60機を撃破し、零戦未帰還機3機という大戦果を上げています。

そして1年後のオーストラリア・ポートダーウィン空襲では、英国スピットファイア―戦闘機との空戦において、零戦のキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)17:2と圧倒的強さを示しました。

大戦初頭の約1年間に零戦は連合軍機471機を空戦や地上攻撃によって破壊し、日本軍は制空権を完全確保しました。

連戦連勝の東南アジア侵攻

開戦劈頭のフィリピン・インドシナ・マレー方面への電撃的侵攻で、日本軍は連戦連勝を重ねました。
圧倒的な日本軍の勝利は日本国民全体を熱狂の渦に巻き込みます。

一般には勇ましさを歓迎された日米開戦ではあるものの、知識層の一部国民の内に忍び入った一抹の不安もその神懸かり的勝利が吹き飛ばしてしまいます。

仕事柄、米国の工業力や国力を熟知し、米英の激しい抵抗を予想して開戦を懸念していた堀越二郎でさえも、思いの外の日本軍の善戦に楽観ムードに流され良い時期に停戦できればそんなに酷い負け方をしないかもしれないと思ったと語っています。

勝過ぎた零戦

開戦初頭の日本軍の快進撃については、陸軍の侵攻作戦のみに焦点が当たりがちですが、それは零戦の大活躍による制空権の確保があってこそなのです。
だから制空権を失った戦争後半、各戦線で日本軍は苦戦・敗戦を強いられました。

当初の零戦の圧倒的勝利がなく、連合軍航空戦力が壊滅せずに機能し続けていたとしたら、あれほどの陸軍の早期完勝があったかどうか。

侵攻が成功しても、もっと苦戦を強いられて時間がかかっていたとしたら、国内のあの手放しの楽観ムードは抑えられていた筈で軍の雰囲気も変わっていた可能性があります。
そうすればこの戦争に対する不安感も残り、結果もっと違った形での終戦もあったかもしれません。

零戦は勝過ぎたのです。

武田信玄の言う、十の勝ち方をしてしまった為に驕り昂ぶりを引き出してしまったのです。
それは名機だからこそ生じた歴史的皮肉ではないでしょうか。


Writing by 歴史大好きじいさん

皮肉は歴史の中に常に存在します。

参考 零戦|その誕生と栄光の記録 堀越二郎著

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