1986(昭和61)年5月4日~6日の東京、先進国首脳会議G7が開催され「厳戒態勢」であった。
その最中、会場を狙ったテロ事件が発生したのだ。
1986年先進国首脳会議開催
1986年、第12回先進国首脳会議(G7サミット)。
アメリカ大統領ロナルド・レーガン、イギリス首相マーガレット・サッチャー、フランス大統領フランソワ・ミッテラン他、西ドイツ、イタリア、カナダ首相。
それに欧州委員会委員長ジャック・ドロールと、我が国の中曾根康弘総理大臣が参加した。
主な議題は世界経済、国際情勢、それに同年4月にソビエト連邦の領土内(現在のウクライナ)で発生したチェルノブイリ原発事故。
当時は東西冷戦の末期にあたり、ソ連が崩壊するのは5年後の1991年12月26日。まだ第三次世界大戦が勃発するリスクが、国際社会を覆っていた。そうした議題をめぐり各国首脳が顔を突き合わせた会場は、東京都港区にある迎賓館赤坂離宮。周辺にはアメリカ大使館やカナダ大使館もある。
発射された迫撃弾
G7の初日5月4日16時20分。迎賓館のそばにある無人である筈のマンションの一室の窓が開き、迎賓館に向けて5発の「迫撃弾」が発射される。
タイマーがセットした時刻になると自動的に作動する仕組みで、部屋の床はコンクリートで固められ、それを台座として5つの鉄パイプが並んでいた。発射した後に部屋から火の手があがった。役目を終えた装置を燃やすよう、時限式発火装置が仕込まれてあった。
このとき発射された迫撃弾は迎賓館の敷地を飛び越えて、無関係のビル屋上や道路上に落下した。犯行は幾つもある新左翼集団のひとつである中核派(正式名称は「革命的共産主義者同盟全国委員会」だが、他に幾つも呼称がある)であるとされるが、定かではない。
事件当時、中核派はサミットを狙ったテロを成功させたとするビラを配布していたというのだ。
過激化した活動家
1986年以降の新左翼は以前より一層、過激化していた。派閥の異なる活動家を集団で拉致、集団リンチの末に惨殺することは勿論のこと、議員の自宅に時限爆弾を仕掛けて爆破する、
本来であれば無関係の建設会社の社員を殺害するなど、末期的な様相を呈していた。
そうした新左翼がイデオロギーを異にする右翼団体と衝突したかといえば、そうでもない。右翼団体は1988年のリクルート事件に端を発して、自民党議員を銃撃するようになる。
1990年2月11日、中曾根康弘の選挙事務所は、右翼活動家からリボルバー拳銃で銃撃された。自民党は、右からも左からも別々のイデオロギーにより命を狙われるという事態に陥った。
1986年から1992年まで立て続けに生じた、右派・左派のテロ事件が記憶されていないのは奇妙だ。
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