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ドイツ夜間防空戦(2)

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第二次世界大戦初期の1941年
ドイツ軍はレーダーと指揮システムに夜間戦闘機で防空態勢を充実させます。
対してイギリス軍も着々と反撃の準備をしていました。

目次

充実するドイツの態勢

第二次世界大戦が勃発して2年以上が過ぎた1941年
レーダーを各地に配置したカムフーバーラインと言う警戒ラインを強化していました。
このカムフーバーラインの特徴は敵機の方位や針路を探知できるレーダーと高度を測定できるレーダーを使い敵機の正確な位置を把握します。

そこから情報があつまるオペラハウスと称する指揮所から各地へ命令を出します。
1940年にはドイツ西部のルール工業地帯の範囲だけだったのが、1943年には北はデンマークから南はフランスまで延びて行きます。
この警戒態勢に加えて250機の夜間戦闘機がドイツの防空態勢と夜間戦闘機部隊を整えたヨーゼフ・カムフーバーの指揮下にありました。

拡大する戦争

戦果も上がり、1941年7月までにドイツ軍が撃墜したイギリス軍爆撃機は250機を数えたと言われています。
これは夜間戦闘機部隊に120機以上や80機以上の撃墜記録を残すエースパイロットが居た事も大きいですが、そうした多くの戦力でイギリス本土まで打って出る作戦を実行したのが大きかった。
帰還するイギリス爆撃機をドイツ軍戦闘機が送り狼となり撃墜したのです。

守るだけではなく、攻める防空戦もした事でイギリス軍爆撃機への打撃を与えていました。
しかし、1941年6月にドイツはソ連との戦争を始めます。
西は大西洋、東はロシア、南は北アフリカと戦線が拡大するドイツ
夜間戦闘機部隊の戦力もそうした拡大する戦線へ割かれてしまいます。幾らかの余力があってこそできた送り狼の作戦もできなくなってしまいます。

イギリスの反撃とアメリカ軍の展開

1941年になるとイギリス軍爆撃隊は4発エンジンの爆撃機であるスターリングとハリファックスを配備します。
これまでの双発爆撃機よりも多くの爆弾を搭載機でき、爆撃での破壊力が高まります。
更に「GEE(ジー)」と言う電波による航法支援システムの開発が実用化に漕ぎ着けた。それまでのイギリスから320kmしか届かなかったのが、650kmまで電波が届くようになった。

そして12月にはアメリカが参戦する。
連合国の一員となったアメリカ軍がイギリスに展開します。
こうして新型の爆撃機と航法システムを備えたイギリス軍とB-17爆撃機を持ち込んだアメリカ軍とを相手にする新たなドイツ本土上空の戦いが始まるのです。

(参考資料)
欧州戦史シリーズVOL.19ドイツ本土防空戦 Gakken
ドイツ本土戦略爆撃 大内健二著 光人社NF文庫
ミリタリークラシックスVOL.11 イカロス出版

※画像はイメージです。

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