第二次世界大戦ドイツ軍最後の装甲師団

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第二次世界大戦でドイツ軍は装甲師団を中心に電撃戦を展開してヨーロッパを席巻しました。そんなドイツ陸軍の主力であった装甲師団で最後に編成された2個師団を紹介します。

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ミュンヘベルク装甲師団

ヨーロッパの第二次世界大戦で最終戦となったベルリン攻防戦でドイツ軍唯一の装甲師団であったのがミュンヘベルク装甲師団です。大戦末期の1945年3月に第103装甲旅団やベルリンの各種軍学校の人員と装備に他の師団からの転属部隊を合わせてドイツ東部のミュンヘベルクで編成された事からミュンヘベルク装甲師団と名付けられた。

装甲師団の戦力たる戦車は第12装甲師団からの第29戦車連隊第1大隊に装備された75ミリ長砲身を持つパンター中戦車が11両に大戦の全期間で改造されながら戦うⅣ号戦車が4両にティーガー重戦車(型は不明)11両が揃う。
後にパンター20両の補充も受ける。また資料によっては数両のヤークトティーガー重駆逐戦車に突撃砲もあったとされる。

合わせて40両以上の戦車が装備され装甲師団にしては規模が少ないように感じられるが1945年の装甲師団は装甲連隊でも実態は1個大隊ほどの戦力であり当時のドイツ軍視点では充足させて編成した装甲師団とも言える。師団は歩兵部隊である2個装甲擲弾兵連隊に砲兵部隊の1個装甲砲兵連隊などで編成された。

ミュンヘベルク装甲師団はポーランド侵攻から装甲部隊を指揮していたベテランのヴェルナー・ムンメルト装甲兵少将が師団長として率いたが編成間もない寄せ集めの師団はソ連軍の猛攻を受けゼーロウ高地からベルリン市街へ退却する。こうしてベルリンを守る唯一の装甲師団となったミュンヘベルクであったが、強大なソ連軍に押されながら苦しい防戦を展開する。ヒトラーが自決した直後に多くの市民と共にベルリン脱出を図るがムンメルトと多くの将兵はソ連軍に投降を余儀なくされた。一部が脱出に成功して米軍に投降したともされる。

クラウゼウィッツ装甲師団

ドイツ陸軍が第二次世界大戦で最後に編成した装甲師団がクラウゼウィッツ装甲師団です。もはやドイツ敗戦が間近の1945年4月に編成されたこの師団は第233装甲予備師団やプトロス装甲訓練学校の車両にグロス・ドイッチュラント師団の師団予備に3月にホルシュタイン装甲師団の残存部隊など他の部隊を集め更には徴兵や負傷から回復した兵士を集め戦車の乗員は教官が転属した。

肝心の戦車は暗視装置付きのパンター戦車もあるもののⅢ号戦車やⅣ号戦車が混じりⅢ号突撃砲も備える残りをかき集めたと言える陣容になっている。人員・装備共に戦闘団レベルの規模でもあった。
プロイセンの高名な軍人の名を冠したこの師団は編成後すぐにソ連軍と戦うが撃退され、イギリス軍と戦いドイツ本国の西部戦線を移動中に師団は分散状態になる。4月末には他の師団に組み込まれドイツ最後の装甲師団は消滅した。

※画像はイメージです。

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