太平洋戦争を戦った日本海軍の駆逐艦で最も有名な「雪風」。
敵艦隊と戦った海戦でも「幸運艦」であったのか?
「雪風」最初の敵艦との戦いスラバヤ沖海戦
太平洋戦争での「雪風」の戦歴はフィリピン攻略戦から始まる。陸軍部隊を運ぶ輸送船団の護衛任務を行った。
引き続き南方攻略作戦に参加する「雪風」は1942年(昭和17年)2月のスラバヤ沖海戦で初めて敵艦隊と戦う。
2月27日から28日にかけて繰り広げられたこの海戦はアメリカ・イギリス・オーストラリア・オランダの連合国艦隊と戦うこの海戦で「雪風」が所属する第2水雷戦隊は魚雷攻撃を仕掛けたが命中する事はなかった。
海戦で戦果は無かったが損傷は無く沈没した敵艦の乗員40人を救助している。
ソロモンの激戦
1942年(昭和17年)8月のガダルカナル攻防戦開始から日本海軍はソロモン諸島の海域で激戦を重ねる。「雪風」は南太平洋海戦で空母機動部隊の一員からソロモンの戦いに参戦した。11月12日の第3次ソロモン海戦の第1夜戦では挺身攻撃隊の第10戦隊に所属した「雪風」は他の駆逐艦と共同で米駆逐艦「カッシン」を撃沈した。
しかし海戦は敵巡洋艦3隻を大破させ、敵駆逐艦4隻を撃沈する勝利であったが戦艦「比叡」が操舵不能となり作戦目的である敵飛行場砲撃は海戦で中止になっていた。
「雪風」は「天津風」と「照月」と共に「比叡」の救援に向かい、挺身攻撃隊の司令官である阿部弘毅中将が「比叡」から移り「雪風」に中将の提督が乗る事を示す中将旗がマストに掲げられた。「雪風」では最も階級の高い将校を乗せた時であった。
「比叡」自沈となり「雪風」は海戦で軽微ながら損傷し続く第2夜戦に参戦しなかった。
1943年(昭和18年)7月12日夜から13日未明にかけて展開されたコロンバンガラ沖海戦では第2水雷戦隊として参戦した。この海戦では「雪風」へ新たに装備された逆探が米軍艦艇のレーダー波を探知し敵艦隊の存在を報せる。
軽巡洋艦「神通」が探照灯で敵艦隊を照らし敵の攻撃を引き受け「雪風」をはじめ「浜風」・「清風」・「夕暮」の駆逐艦4隻で2度の魚雷攻撃で敵駆逐艦1隻撃沈、敵巡洋艦3隻と敵駆逐艦2隻を損傷させ「神通」を失ったが海戦を勝利した。
雪風最後の対艦戦闘、サマール沖海戦
1944年(昭和19年)10月25日のサマール沖海戦では米護衛空母の部隊と交戦し、空母を守る駆逐艦「ジョンストン」と護衛駆逐艦「サミュエル・B・ロバーツ」を第10戦隊旗艦の軽巡洋艦「矢矧」と「雪風」が所属する第17駆逐隊の砲撃で撃沈した。敵空母への魚雷攻撃も行ったが命中はしなかった。
このサマール沖海戦で「雪風」が敵艦隊と戦う海戦は最後となった。
「雪風」は敵航空機との戦いをしつつも敵艦隊との海戦で強さを発揮し太平洋戦争を戦い抜いたのです。
featured image:同盟通信社小沢哲郎, CC0, via Wikimedia Commons


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