以前、とある芸能人が亡くなった人に対し、「虹の橋を渡る」と表現して批判される事例があった。
批判の根拠は「それはペットに対する表現だ」というものだった。
はて。
「虹の橋がペットに対するもの」という認識も、自分にはないような気がする。
死の表現というのもしっくり来ない。
一体、これはどの辺りの発想なのだろうか。
虹の橋はどこから
虹は、神話に時折出て来るモチーフである。
ギリシャ神話では、虹の女神「イーリス」が存在する。
彼女は足が速く、女神ヘーラーの伝令役となっていたとされる。
そして虹は、イーリスが移動した跡とされ、これは「虹の橋」のイメージに近い。
彼女は伝令役であるため「何かしら良いものを伝えて来る」「知らせる」といった加護があると考えられる。これは、イーリスが象徴する花のアイリス(アヤメ属)の花言葉にもされている。
他にイーリスは、太陽神アポローンの出産時に尽力した神としても知られる。
これは、雨の後に虹がかかり、太陽が姿を見せるという一連の流れをイメージしたものだろう。
こちらの加護なら「安産」「出産」といったものだ。
これら2つは「死」や「ペット」とは特に関係がない。
他の神話にも、イーリスが誰かを連れて大河ストュクスを越え、冥府に案内するといった話は見かけない。何しろ足が速すぎる。
もう少し時代を下って、旧約聖書にも虹は出て来る。
創世記第9章で、大洪水を生き残ったノアに対し神は、
「再び洪水を起こし、生き物全てを滅ぼす事はしない」
と約束している。
そして虹は、その約束(契約)の証となるものだ、と宣言している。
この場合の虹は、「殺さない約束」というあの世へ送るのとは逆方向の話だ。そもそもこの虹は「橋」ではなく、契約に用いる印鑑やサインのようなものだろう。
場所を移して中国では、虹は「竜」の姿に見立てられた。空を渡るほどの長大な細いものを竜に見立てるのは、日本人にも想像しやすい。
また、五行思想における「黄竜」は、四神の長とされ、青龍、朱雀、白虎、玄武それぞれが色を持つ事から考えると、カラフルな虹に結び付きやすそうだ。
尚、7色の虹には色が足りないと思う人もいるかも知れないが、虹の色に区切り線はない。観察者の認識次第で無数に分ける事が可能だ。
虹を竜や蛇に見立てる発想は他の地域にも多く、オーストラリアや西アフリカ、北アメリカなどで、同様の神話が存在する。
そしてこの場合、虹はやはり橋にならない。
仮に通れたとしても上を通るのは無理で、口から入り肛門から無言の脱出を果たすだけだ。
日本の場合、仏教にいう三途の川が近いだろうか。
「三途の川には橋がない」という説もあるようだが、生前の行いによって「橋」「浅瀬」「深い場所」と渡り方に差を付けられた、という説もある。
そして「橋がある」説の橋は、金銀七宝で作られているため、虹色に見える瞬間もあるだろう。ただ、ペットだけが渡る、という話は出て来ない。
北欧神話まで来て、ようやくそのままの虹の橋が出て来る。
ブフレスト(ぐらつく道)と呼ばれるそれは、人間の住む地上と神々の地であるアースガルズを結ぶ。
人間は、病気や寿命で死んだ場合ヘルに向かうが、戦死した勇者に限っては、アーズガルズのオーディンの宮殿「ヴァルハラ」に集められる。
軍馬や軍用犬に限れば、戦死した主人と一緒に渡る事は出来そうだが、愛玩動物であるペットは少々難しそうだ。
現実の話では、東京湾にかかる「レインボーブリッジ(東京港連絡橋)」が、そのまま「虹の橋」という意味だ。
これについては単なる移動手段で、渡った先があの世という事はない。また、名前が決まった経緯は公募で、設計や役割に直結するものではない。

虹の橋はここから
宗教やオカルトにクリティカルな答えがないが、元ネタは何なのだろうか。
実は、この「ペットと虹の橋」の話には、明確な出典がある。
1959年に10代の少女、エドナ・クライン・レキーが、愛犬の死を悼む為に記した詩である。
このコピーが友人の手で拡散され、1994年にアメリカで新聞に掲載され、その後ペットを弔うサークルなどで使われ始めたのだという。
詩の内容は、
- 死んだペットが、天国の手前の草原で仲間と不自由なく暮らすが、飼い主の事を恋しく思っている
- 飼い主が(死んで)やって来て、一緒に虹の橋を渡っていく
というメルヘンチックな話である。
執筆年代や作者の年齢から考えるなら、このイメージ元は1939年のミュージカル映画『オズの魔法使い』の劇中歌「Over the Rainbow(邦題:虹の彼方に)」ではなかろうか。
詩が作られる20年ほど前の作品だが、ヒット作品のためリバイバル上映はされていようし、曲も何度もカバーされている。
歌詞の内容も、「虹の向こうに、悩み事のない、信じた夢が全て現実になるような場所がある」というもので、死後の楽園イメージに結び付きやすい。
ここまで来てはっきりするのは、元ネタにおいて、別にペットが単独で虹の橋を渡っている訳ではない、という事である。
あくまで、「苦しみのない環境で飼い主を待っている」という部分が主眼であって、虹の橋の部分は「なんやかんやあって、幸せに暮らしています」の「なんやかんや」をカラフルで煌びやかに表現した装飾物に過ぎない。

死後もペットと暮らすには
その有無を含めて、死後の事は分からない。
分からないが故に、エドナ嬢のようにオカルト的イメージを自分で持っておく事は重要だ。
オカルトは、どうしても分からない事に仮の姿を与えてくれる。
死別したペットが、死後に待っていてくれるというのは、嬉しい事だ。死ぬのも悪い事ばかりではない、と思えるだろう。そして、虹の橋の先も考えておくと良い。
虹の川の先に、閻魔の裁きのようなものがあり、あなたが地獄の責め苦を受けるルートに進むのでは、折角再開したペットと一緒にいられない。
ペットと過ごせるための要件を満たすため、残りの日々を過ごす事が肝要だろう。
多くの宗教は、それに「善行」という道標を付けてくれている。
どれを信じるか、または自分で作り出すかはあなた次第だ。
※画像はイメージです。


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