大和は排水量がたった6万2千トンの小さい船だった?
軍艦の小型化
第一次大戦後、日英米など主要海軍国は国家財政を圧迫する軍事費抑制を目的に、軍縮条約による其々の海軍艦艇保有数量の上限を決めた。
隻数や排水総量が仮想敵国の米国より少なく制限された帝国海軍は、限られた保有数量の中で最大限の攻撃力を保持するために、「量の不足を質をもって補う」を軍艦建造の要諦とした。
それは、より小さな船体により大きな攻撃力を搭載することだった。
昭和9年、訓練中の水雷艇・友鶴(排水量535t)が、わずか半年前に就航した新鋭艦だったにもかかわらず、荒天の中、転覆遭難した。
その原因は、軍縮条約規定外の小さな船体に過剰な兵装を装備したことだった。
軍艦の兵装は甲板上にある。船体が小さいと重心が上がって復元力が低下する。
条約下の軍備競争に煽られ、兵装重視船体小型化の設計が行き過ぎた結果だった。
事程左様に帝国海軍の艦船建造は船体小型化に注力されており、行き過ぎが負の結果をもたらすこともあったが、小型化に対応する優れた技術も蓄積されていった。
世界最大の戦艦建造
国際連盟を脱退した日本政府が軍縮条約も破棄すると、海軍は世界最大最強の戦艦A104の建造を計画した。
しかし強大な国力の米国相手に制限のない建艦競争は不可能だった。
さらにはそれでいて米国艦隊に負けることは許されなかった。
米国海軍は大西洋・太平洋の両洋で活動しなけらばならず、
米国艦艇の大きさはこの両洋を繋ぐパナマ運河の幅(約33.5m)を超えないと、帝国海軍は推測した。
そしてその大きさの艦船では常識的装備の40cm主砲を超える、前代未聞の46cm砲搭載を決定した。
A104は全長263m・全幅38.9m・基準排水量62000tという、世界に類を見ない最強最大の軍艦であった。
後の戦艦大和である。
因みに実際、大和就航後に建造された戦艦アイオワは、全長274m・全幅約33m・基準排水量44000t・主砲40cmだった。
排水量は、たった6万2千トン
A104建造計画が決定した昭和11年の日本の軍事費予算総額は、既に国家予算の47.6%と異常に膨張していた。
いかに戦時の軍事最優先財政とはいえ、自ずから予算は限られていた。
A104建造に関しても費用抑制のための船体小型化が強力に推進された。
船体内が基本的に何かを運ぶための空間を主とする貨物船や客船と違い、軍艦の船体内には兵装や防御のための機構が隙間なく詰め込まれている。
そんな機械的機構装置は単純に小型化することは物理的に非常難しい。
ただでさえ多数の装置や配管配線が、細かく入り組んで詰め込まれている船体をさらに小型化すると、その船内は極限の稠密状態を呈する。
図面上の作業である設計はまだしも、それを現実化する建造現場では困難を極めた。
それは未経験の領域といえる軍艦建造だった。
しかし帝国海軍の造船技官と技術者たちはそれまで蓄積してきた小型化の知識・経験・技術を駆使し、その上に新たな素材と工法を積極的に取り入れながら、この未知の戦艦建造に果敢に挑戦した。
大和建造に携わった元海軍技術少佐は、戦後、大和についてこう語っている。
戦後、ただ巨艦であるがゆえに大和・武蔵を人が誇りとし、 いたずらな礼賛を注いでいることを飽き足らなく思う。
実は大和の誇りはそれが大きかったからではなく、小さかったことにあると私は思っている。
外国並みに設計したら大和型は同じ性能を得るため、7万トン位になっていただろう。
私は大和がたった6万2千トン(計画基準排水量)だったこと、つまり小さい事を誇りたい(要約)


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