最強の金運の神様と聞くと、皆さんはどの神様を思い出すだろうか。
弁財天と同一視されている市杵島姫命(イチキシマヒメ)、恵比須様と同一視されている事代主神(コトシロヌシ)・大黒様と同一視されている大国主神(オオクニヌシ)。
誰もが、一度は手を合わせお金が欲しいと願ったであろう神々を、さらに凌駕した金を象徴した神様を知っているだろうか。
その神様は、「金山毘古神(カナヤマヒコ)」である。
名前にまで、「金」の文字が入ったこの神を、皆、崇めたくなっただろう。
このカナヤマヒコは、いったいどんな神だったのだろうか。
記紀での金山毘古神
金山毘古神は、古事記に書かれている名で、日本書紀名は、金山彦神という。
カナヤマヒコは、妹神の金山毘売神(カナヤマビメ)とともに伊弉冉神(イザナミ)から生まれている。
実際に書かれていることは、火之迦具土神(ヒノカグツチ)を産み落とした際の火傷による影響で、嘔吐した中から化生したと記紀にはある。
つまりは母胎や卵からではなく、突然姿を現して生まれるとするそうだ。
記紀には、これといった物語が無く、この時のみの記述でその後は系譜のみにしか現れないのだ。
金山毘古神は、鉱山の神・金属の神として祀られており、金山神社や金山彦神社系の神社、その他全国の多くの神社に祀られている。
祀る神社と歴史
古来より、カナヤマヒコを祀る神社の代表格としては、岐阜県に鎮座する南宮大社がある。
美濃国一の宮として崇神天皇の時代からあるとされ、金山とは鉱山を意味し、当時から鉱山を守る神として崇められており祀られたとされる。
現在は、全国の金属業・鉄鉱業・鍛冶屋から金属の総本宮として厚い信仰を集めているのだという。
かの日本一の大会社『TOYOTA』は、豊興神社という創業当初からカナヤマヒコを祀る神社に信仰厚いのだ。
その神社があるのは、豊田市トヨタ町、なんとTOYOTA本社自社工場の敷地内にあるという。
美濃では、古くは4世紀ごろから鉄の採掘・製錬されており、周囲の遺跡から出土され中世には剣を造る鍛冶集団がいたとされる。
その他の地でも、鉱山や製鉄所、工業地等に神社を祀る際には、カナヤマヒコを祀ることが多いのである。
さらに、神武天皇の東征による逸話では、八咫烏の力を借り、金の鶏を遣わしたのが、カナヤマヒコだったという説もある。
そのご利益の真実
カナヤマヒコを祀る神社で、金運を上げると言われる有名な神社では、宮城県の金華山がある。
今から1270年程前に山より日本で初めて金が産出されたことを期に、カナヤマヒコを祀った。
それが、金華山黄金山神社であり、「三年参れば、一生金に困らない」と言い伝えられている。
また、京都の中心部に、全国から人が押し寄せるという金運神社、御金神社がある。
黄金に塗られた鳥居と、銀杏の黄色でまさしく金運アップが望めるこの神社周辺は、古来、釜を作る鋳物職人が集まる場所であり、江戸時代では金貨鋳造の場所でもあったようだ。
個人邸宅にあった神社を、有志によって奉賛し社殿を造るまでになったのだという。
そもそもだが、これらから分かるように、カナヤマヒコを祀る神社には、鉱山や、鉱物を加工する場であったり職人の集団がいたりする場所であることが分かる。
つまり、鉱業・鉱物・金属・宝石に縁がある神様ということで、それらがお金にまつわる神様としてあるのだ。
紙の紙幣ではない。
金属なのだ、と、強く言いたい。
そんな筆者も、カナヤマヒコを祀る神社には、目の色を変えて何度も参拝している。
ちなみに、残念ながら、お金はあまり持っていない。
人としてのカナヤマヒコ
神は古代の日本人であると考えた時に、その情景が分かるのは、ホツマツタエだろう。
それを見ると、カナヤマヒコは、日高見といわれる天神の臣下であり、美濃の国主として出てくる。
カナヤマは、「金山」ではなく、「要山」のヒコであると記されているのだ。
美濃の国は、要所の山々が連なる場所で、中山街道を開き、そこを守る役割をした重役だったと言える。
カナヤマヒコの娘は、日高見の王・アマテルに嫁がせているといった、姻族にもなっている。
歴史的には、鳥取県に鉄を産業とする氏族がいたと言われ、その関連性もあるのかもしれないが、カナヤマヒコも鉱山や製鉄職人を有する一族だったことも予想できる。
こう見ると、我が日本を作り出し、そして守ってきた英雄の一面がある神であり、決して金の亡者となり、崇拝するような神ではない。とはいえ、金運アップの神社へと、惜しげもなく足を向けてしまっている自分がいるのが、記事を書きながら胸が痛いところである。


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