第2次世界大戦西部戦線の戦局を大きく動かしたノルマンディー上陸作戦で、ドイツ最強の戦車であるティーガー重戦車はどう戦ったのか?
ノルマンディーのティーガー重戦車
1944年6月6日に連合国軍がフランスのノルマンディーで上陸作戦を実行した。この上陸を迎え撃つドイツ軍の中にはドイツ軍最強のティーガー重戦車の姿もあった。ティーガーを装備していたのは陸軍の第503重戦車大隊と武装親衛隊のSS第101重戦車大隊とSS第503重戦車大隊に装甲教導師団であった。
多くはティーガーⅠと呼ばれるⅥ号戦車E型であるが少数ながら新型であるティーガーⅡことⅥ号戦車B型も配備されていた。ティーガーⅡは1944年1月から生産が始まりノルマンディーでは第503重戦車大隊が装備していた。
ノルマンディーはそれまでにないティーガーの戦力が集まる前線となった。
ウィレル・ボカージュの伝説的な戦い
ノルマンディーのティーガーで有名な戦いはヴィレル・ボカージュの戦いであろう。
この戦いを指揮したミハエル・ヴィットマンSS中尉の所属するSS第101重戦車大隊はパリ近郊からノルマンディーへ急行した。そして6月13日にヴィレル・ボカージュでヴィットマンは自ら乗るティーガーⅠだけでイギリス軍第7装甲師団へと突撃した。
ボカージュと呼ばれる高い生垣が縦横に延びるノルマンディーでは大きな重戦車であるティーガーの身を隠す事が出来た。それは視界が悪くティーガーの強みである88ミリ砲の長射程を生かした射撃が出来なかったが、奇襲を仕掛けるには良い環境であった。
ヴィットマンはイギリス軍の前に現れ街道を堂々と進みながら88ミリ砲でイギリス軍の戦車や装甲車をどれも貫き撃破した。ヴィットマンのティーガーⅠはヴィレル・ボカージュ村に進出しイギリス軍を追い出すかに見えたが対戦車砲によって撃破されてしまう。それでもティーガーと東部戦線で慣らしたベテラン戦車兵がいかに強いか示す戦いになった。
ティーガーあれど食い止められず
ヴィレル・ボカージュは例外的な攻めの戦いで多くは歩兵や他の兵科と共に戦闘団を組み生垣のある地形を利用する守りの戦いが常であった。
制空権は連合国軍にあり戦車は白昼に動くのは難しく、連合国軍の爆撃はドイツ軍の後方も襲い補給も脅かされていた。
戦車同士の戦いにおいてもイギリス軍はアメリカ製のシャーマン戦車に対戦車火力の強い17ポンド砲(76.2ミリ砲)を装備させたシャーマン・ファイアフライを投入してティーガーに対抗した。
ヴィレル・ボカージュで活躍したヴィットマンは8月8日にファイア・フライによってティーガーと運命を共にした。新型のティーガーⅡも7月にはノルマンディーの前線で戦ったが戦局を変える力は無かった。
8月にはファーレズでドイツ軍は包囲されるもののティーガーは遅滞戦闘をしつつ脱出できたがセーヌ川で戦車を運べる機材が少なくノルマンディー戦を生き延びたティーガーの多くは放棄されてしまう。戦場の勝敗は突出した性能の重戦車でも兵器の1つに過ぎなくなっていた。


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