今に伝わる二着のセーラー服

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。

セーラー服は正反対の世界で生き続けています。

目次

セーラー服人気の始まり

1846年、英国王室ロイヤルヨット、ビクトリア&アルバート1世号(木造外輪蒸気船 排水量1034トン)に、5歳のアルバート・エドワード王子が乗船して来た。
彼の服装はヨット乗員制服を模した、特別仕立ての子供用セーラーズ(船乗り)スタイルだった。
その可愛いセーラーズスタイルは乗員たちの喝采を浴びたという。

王室画家が描いたこの時の王子の姿が市民の人気を呼び、男児のセーラーズスタイルが流行した。
セーラー服人気の始まりである。

やがて子供服としてのセーラー服は欧州各国でも男女を問わず一般化し、多くの学校でセーラーズスタイルの制服が採用されるようになった。
その流れは日本にも及び、各地の女学校の和装に代わる洋装制服として、大正年間に相次いで採用された。
機能的で愛らしいセーラー服は、近代に入ってから活発化した女性活動にマッチしたのである。

海軍制服としてのセーラー服

セーラー服が世の中で人気を博してから11年後の1857年、英国海軍はセーラー服を正式水兵服に制定した。

昔の英国海軍では水兵は正規の軍人ではなく、艦船個々に寄港地などで素性を問わず募集採用していた。
従って海軍としての制式水兵服はなく、適当なものを支給していた。

しかし低賃金で健康衛生意識の低い水兵たちの、長期航海にわたる狭い艦内での生活環境は不衛生になりがちだったため、健康管理の方策の一つとして水兵服の制式化が検討されたのだ。
水兵服の形は、それまで多く取り入れられていた大きなカラー(襟)のシャツを参考に、セーラーズスタイルに決定した。

セーラー服特有の背中側の大きな角形カラーには様々な由来が喧伝されているが、その真実は定かではない。
ある研究者は、船乗りたちが高い帆柱に昇った帆船時代の、「グレコ」と称する上着に由来すると主張する。
元々グレコは地中海東部の農魚民が使っていた、厚手粗布製のフード(頭巾)付きコートのことで、現代のアノラックやパーカの形に近い。
マストの昇降に邪魔なボタンがなく、頭を通して脱着し易い大きなV字型襟ぐりは、グレコを基本にした改良であろうという。

やがて帆船時代が終わって船乗りたちがマストに昇ることもなくなっても、荒海で大きく揺れるマストの上で、強風に吹かれて頭から脱げたフードが、勇敢な船乗りの象徴として背中のカラーに残ったのかもしれない。
そして当時の多くの船乗りが、汗拭き、止血など様々な用途のため首に巻いていたネッカチーフは、ネクタイ風にこのカラーに合わせられ、現在のセーラー服の姿になったと推測される。

正規水兵の制服としてのセーラ―服は世界中の海軍に広まり、現在の英米海軍や海上自衛隊でも生きている。

セーラー服が水兵服の原型

“Sailor”は水兵の意味もあるが、元々船乗り全般を意味する。米英海軍では水兵は”seaman”である。
また長い海軍勤務を勤め上げた英国国王ウィリアムⅣ世は”Sailor King”と尊称されるが、
これは「水兵王」ではなく、「船乗り王」と訳されなければならない。王は決して水兵ではなく、大将や大臣まで務めた将官だからである。
つまりセーラ―服の本来の意味は水兵服ではなく、船乗り服なのである。

巷間、セーラー服は水兵服から生まれたと広く伝わっているが、これら史実や発祥年などを勘案すると、セーラー服が水兵服の原型だとされるべきである。
いずれにせよファッションと軍服という、相反するような二着のセーラー服の流れは、連綿と今の世に受け継がれている。

参考
・セーラー服は水兵服ではない 神戸深江生活文化史料館館長 杉浦昭典 (史料館だより)
・男の作業服着が発祥!「セーラー服」はなぜ女性のファッションとして浸透していったのか? (乗りものニュース)
・学生服としてのセーラー服の歴史 (tombow.jr.jp)

※画像はイメージです。

面白かった?

平均評価: 0 / 5. 投票数: 0

投票がありませんよ、最初の評価をしてね!

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

思った事を何でも!ネガティブOK!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次