真駒内駐屯地の開庁72周年記念行事に行ってきた。
千歳の基地祭の時も思ったが、90式やパトリオットミサイルなど、文字や映像でしか知らない兵器の実物が見られるのは、得難い経験だ。
軍事絡みのオカルトと言えば、戦争による軍人の死者、すなわち「戦死者の幽霊」が定番だ。
だが「幽霊話」で検索した時、戦死者の幽霊話は、決して多くはない。死の数から考えれば、大半を占めてもおかしくないのに。
戦死者の幽霊
1963年5月14日の閣議決定「戦没者追悼式の実施に関する件」によれば、第二次大戦の日本人の戦没者は310万人とされる。内訳は、軍人が210万人、民間人が100万人であるという。
軍隊が崩壊し、国土が蹂躙された事例は別だが、軍隊が機能を維持したまま終戦を迎えた場合、軍人の死者数の方が多いというのは、感覚通りだろう。
では、具体的な戦場の幽霊話には、どういうものがあるだろうか。
昔読んだ、水木しげるか江戸屋猫八の自伝に、「誰何の幽霊」というのが語られていた。
夜、暗闇に人影や気配があり、見張りの兵士が
「誰か!」
と誰何すると、
「俺だ」
と応える。
けれど、その人間が姿を見せる事はない。
というものがあった。
ダイヤモンド・オンラインの2025年6月10日記事では
- 帝国陸軍第七師団の旭川駐屯地の門を守っていた兵士が、夜中に帰還してくる兵士達の隊列を迎えた。だが、その後、入った筈の兵舎に明かりはなく、彼らの姿は消え失せていた。
間もなく、第七師団から編成され、南方に派遣されていた一木支隊が全滅したという知らせが入った。 - とある村で、徴兵された青年達が配属された部隊が全滅した。その年の蛍はやけに多く、魂が蛍になって帰って来たのだろうという話題になった。
- 昭和40年代、アッツ島で兵士の遺骨を集めていたところ、突然立ちこめた霧が、あちこちで人の姿を取った。中には、戦死した戦友の姿にそっくりなものもあった。
- 出征した兵士が母親の夢枕に立った。その後同日同時刻に戦死していた事が分かった。
といった戦死者の幽霊話が挙げられている。
日テレNEWSの2024年8月24日記事では、「ベテラン海上自衛官によれば、硫黄島は毎日幽霊が現れる場所」とされ、「空自のパイロットが硫黄島周辺で戦闘訓練を始めた時、グリーンのレシプロ機が見え、飛行帽をかぶり航空眼鏡をかけたパイロットが乗っていた」という、飛行機も含めた幽霊の話もある。
戦死者の幽霊の類型
これらの幽霊話は2つに大別されそうだ。
すなわち、銃後で遭遇するものと、戦場で遭遇するものである。
そして時間でも2つに分けられる。
戦中と、戦後しばらく経った後である。
現在の科学に則れば、幽霊は、観察者の精神状態や暗示が見せるもの、すなわち幻覚の一類型と判断される。
「戦死した子供や父、夫が帰ってきた」という現象は、「会いたい」「心配」と考える家族の心理、ストレスによる睡眠の浅さから、夢を現実と誤認する、家の中の物を人影と見間違える、何らかの記憶の残った事物を、戦死の情報を聞いた後「あれは家族の死の兆しだった」と遡って結びつける心理といった幻覚、見間違え、思い込みと解釈できる。
近所の人などから先に幽霊の噂話を先に耳にしていれば、更にバイアスがかかる。
こういった幻覚は、当然出征した家族が帰ってくるまで続く。実際には、ほぼ毎日見ていたものという可能性もある。
では、幽霊が実在すると考えた場合は、どうだろうか。
幽霊の実在は、肉体と独立して機能する自我、すなわち魂の実在を意味する。
生き物が死んだ時、魂は、
- 次のものに転生する
- 地縛される
- 浮遊する
という3パターンに分かれる。
「母の枕元に立つ」というような幽霊は、戦場から大きく離れるため「3」の浮遊のようだが、速断は禁物だ。
このタイプの幽霊話には「出たのは、戦死した日時だった」というエピソードが付きやすい。
重要なのは、その日時以外には出ていない、すなわち2度出た訳ではない、という事だ。
何かしら思いを残して反復的に現れる幽霊とは、趣が異なる。
これは「1」の転生パターンの1過程、戦死した兵士の魂が、懐かしく愛しい人の顔を見てからその先に旅立った、というプロセスと考えるべきだろう。
では、「2」の地縛された場合はどうか。
硫黄島では、頻繁に幽霊が出るというから、これは地縛されていると考えて良い。
地縛霊となる理由は、
- 自分が死んでいると気付いていない
- 場所やそこにある物に執着がある
- 場所自体が霊を引き留めている
- 死体(遺骨)から大きく離れられない
といったパターンが考えられる。
戦死者はどうか?
自分が死んでいると気付かないというのは、死が日常と地続きにある激戦区としては、いささか不自然だ。
場所に執着があるかと言えば、戦後に現地除隊を申し出ようとした水木しげるのような例は稀で、「帰りたい」が大多数の本音だろう。
場所が引き留めるというのも少々不自然だ。戦場となっている場所は、最初から戦場だった訳ではない。
死体から大きく離れられない、というは、供養をしないと往生出来ないという、比較的狭い宗派の考えだ。
素朴な宗教観では、土に還ればそのまま転生する、というのが自然だ。
だとすれば、彼らは先の枕元に立った霊達と変わらない。ただ、どう帰ったら良いか分からないだけだ。
行こうとするが辿り着けず、また仲間の多い場所に戻る。人として無理がない動きだ。
これは、平時の幽霊話に見られるような、恨んで祟る幽霊とは根本的に異なる。
戦死者の幽霊に出会ったら
そう考えれば、戦場の幽霊話が、その死者数に比して、そこまで多くないのも、人を害するようなムーブがないというのも頷ける。
恨みが曖昧なのも無理からぬ事だ。
自分を死に至らしめた張本人である筈の敵兵ですら、個人的な恨みで殺し合っていたわけではない。
そもそも銃弾がどこをどう飛んで来たか、誰が撃ったか、誰を撃ったか、分かりもしない。
そもそも、戦場の死者は、交戦によるものだけでなく、病死、事故、餓死といった場合もある。
故に、戦死者の幽霊というのは、死の数から見てそこまで多くないのではなかろうか。
もしもあなたが戦死者の幽霊と遭遇したら、「どこに帰りたいのか」と尋ねてみると良い。
穏やかに対話が終わる可能性が高い。
その幽霊は、恨みや憎しみで現れた訳ではないのだから。


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