札幌に移住して20年近くになるが、最初に気に掛かったのが、カラスの多さだった。
ゴミ捨て場には必ずいたし、鳴き声を聞く事も頻繁にあった。
カラスは、不穏の象徴として創作などで描写されたり、直接的に不吉、不快な存在として嫌われる事も多い鳥だ。
だが、実際のところ、カラスと不幸を結びつける根拠はあるのだろうか。
それとも、これといって根拠のない、オカルトの範疇に全てが収まってしまうものなのだろうか。
カラスとは
カラスはスズメ目カラス科カラス属の動物で、黒い羽根を大きな特徴とする。
真っ黒なものが馴染み深いが、白の混じった種類や、アルビノで白くなる個体も存在する。
日本では、大柄で嘴が太いハシブトガラス、小柄で嘴が細いハシボソガラス、北海道に飛来する渡り鳥のワタリガラスなどが馴染み深い。
都市部ではハシブトガラスが多く見られるが、ハシボソガラスの方が多い地域もある。
雑食性が強く、木の実なども食べるが、人間の残飯や家畜の飼料、スズメなど他の鳥や卵を食べる事もある。
この食性から、動物の死体などついばむ事も多く、大型獣の死骸の場合、多数のカラスが群がるレストランになる事もある。
有り余る食べ物がある時は、他のカラスと一緒にエサをついばむ訳だが、縄張り意識はきちんと持っており、他の個体が縄張りを侵そうとすると啼いて威嚇したり、爪で攻撃したりといった行動に移る。
カラスに不快感を抱く訳
カラスが実際に不幸をもたらすかは置いておいて、その元になるであろう、好ましくない感情をもたらす理由は何だろうか。これは、カラスの食性によるところが多いだろう。
カラスは、大きめな獣が死んだ時、素早く食べに来る。
その体色とサイズ感から、カラスが集まっている姿はとても目立ち、カラスがいるところ=死体がある場所、という目安になる。
人間も、カラスと肩を並べて食事した時期はあったろうが、自分で狩らない死体はリスクの多い食物だ。
生物は死んだ瞬間から腐敗が始まる。
腐敗したものを食べれば消化器系にダメージを喰らうし、病死体の場合はその病気に感染するリスクもある。
これら死体は、食べるだけでなく、接触感染や飛沫感染をもたらす事になるため、近付く事自体がリスクになる。
人類が腐敗臭を嫌うのは、正にこの性質である。
そして、多数のカラスが群がっているというのは、それなりの時間経過を意味し、これも腐敗のサインになる。
この感覚がない人間は、これらのサインに気付かぬまま近づき、感染症に罹患し、結果的に死んで淘汰されたのだろう。
他に、カラスの縄張り意識によって、人が直接的な攻撃を受けるパターンもある。
人間はかなり大型の動物で、二足歩行によって体高は更に上位にランキングされるため、正面切って攻撃してくる動物は稀だ。そして、その縄張り、すなわち人里は、野生動物が入らないよう管理されており、特に都市生活者にとってネズミより大きな野生動物というのは身近ではない。
一方、空を飛べるカラスは、都市に入り込む事が容易で、実質的に都市生活者が接する野生動物で最大のものになる。
カラスは縄張り意識があり、頭が良く、飛行のアドバンテージも理解しているから、人間の後頭部を空から攻撃する、という方法を取る。
このため、一方的に怪我をさせられる事も多く、こちらもカラスに対する忌避意識を生む。
オカルトの中のカラス

オカルトの文脈で、カラスはどのように扱われているのだろうか。まず、鳥という種類は、空すなわち天に通じ、神格化される事がある。
万人にとって識別しやすく、身近な鳥であるカラスは、その象徴にされる事も多い。
日本神話の「ヤタガラス」、同一視される事の多い中国の「三足烏」は、太陽の化身として神格化されている。
ヒンドゥー教では、閻魔と同一視される「ヤマ」の使いとして崇拝される。
ヨーロッパでは、ギリシャ神話において、カラスはアポロンに仕える存在であったとされ、こちらも太陽神と結び付く。
但し、失態によって追放された、というその後の話が付く。
北欧神話においては、オーディンがワタリガラスを斥候として用いる。すなわち、最高神の使いである。
古代エジプトでは太陽の鳥ともされる。
旧約聖書、アブラハムの宗教に入ってくると、少々雲行きが怪しくなってくる。
ノアの洪水後、陸地を探させるために最初に放ったのがカラスであるが、役目を果たさず逃げてしまった。
時代が下って、キリスト教的ではない存在の「魔女」の使い魔としてカラスが使われるとされる。
日本でも、神格化だけでなく、不吉の象徴とする事があり、屋根で啼けばその家で死人が出る、といった言い伝えのある地域が散見される。
死を告げるカラス
神から不吉な存在まで幅広いが、これは一定の理屈には合う。
まず、死をもたらす、死を告げる、というのは、カラスが死肉に群がる性質から容易に連想できる。
一方、死した身体を天に運ぶ者とも、身体から抜け出た魂そのものとも見えるだろう。
神と悪しき者、失墜したものという解釈も理解しやすい。
すなわち、カラスを神と崇める文明を攻め滅ぼし採り入れた他の文明、という構図である。
多神教ならともかく、一神教となると、神としてのカラスの居場所はない。
『地獄の辞典』によれば、悪魔マルファスやナベルスがカラスの姿を取るとされる。このような地位に、カラスが押し込まれている訳だ。
また、カラスの特徴たる黒そのものがネガティブに捉えられている場合もある。
旧約聖書にはそのような表現がいくつか見られ、「ヨブ記」30章30節の「わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち」、「哀歌」4章8節「今はその顔はすすよりも黒く」といった記述が見られる。
これらの印象が、カラスをネガティブなものにした一助である事は、間違いない。
カラスとの付き合い方
では、実際にカラスが不幸、不吉をもたらす存在であるとしたら、我らはどう付き合うべきだろうか。
カラスは小さく、知恵があると言っても大人の人間ほどではない。
オカルトが実在する世界において、精神力は物質的な力を持つ筈だ。そして精神力は、その思索の深さ、決意の強さなどを裏付けとする。
カラスが個体として、我らの精神力を覆すほどのほどのパワーを持つ存在である、というのは少々不自然であろう。
やはり、何らかの神の使い、悪魔の化身、魔女の使い魔といったもので、使用者、主人から力の供給を受けていると考えるべきだ。
この時、カラス自体を殺傷しても、使用者のダメージにはならない。
新たなカラスを派遣されるだけだ。むしろ、手間を増やした事に腹を立て、本格的な呪いを準備し始める可能性も高い。
あなたがもし、悪魔や魔女にカラスを送られる心当たりがあるなら、直接それらとコンタクトを取り、交渉すべきだろう。そうでないなら、これ以上相手に興味を持たれないよう、余計な手出しはせず、平然と暮らすしかない。
少なくとも、カラス自体をどうしようと、解決にならない。
無論、生活圏にカラスがいる事自体の不快感はあろうから、エサになるものを外に置かない、ゴミは収集直前に出して、カラスに漁らせないといった、普通のカラス対策も有効だ。
使い魔だって食事する。立ち寄りついでに興味を持たれるというのは、物語の冒頭に良くある話だ。
これら対応をしてもなお、悪魔らがカラスによって挑発を繰り返していると感じるなら、あなたがある程度信じているお祓いなどの儀式に頼ると良い。
その儀式が適切で、正しい手順で行われた時、背後にいるものを退散させられる。
この時、カラス自体がそのまま残ったとしても、すっかり雰囲気の違う、馴染み深い鳥になっている筈だ。
※画像はイメージです。


思った事を何でも!ネガティブOK!