硫黄と火の雨に焼かれた、死海近くの豊かな町。それがソドムである。
ギュスターヴ・モローによって描かれた『ソドムの天使』を観た時、言いようのない畏ろしさとともに、嗅げるはずのない硫黄の匂いを、嗅いだ気がした。
ソドム
ソドムの話をしよう。
ご存知の方は多いかもしれないが、出典は旧約聖書だ。神が「ヨッシャ滅ぼしたろ」と宣い、預言者アブラハムが神を説得するシーンから始まる。曰く「正しい人間が50人居るかもしれん」。
この説得方法が見事で、アブラハムは徐々に「いや45人かも」「いや40人」と数を下げていき、最終的に「正しい人間が10人居たら滅ぼさない」という言質を取り付ける。
脅威の8割引だ!これぞドア・イン・ザ・フェイス。セールスのお手本になったっていい。
説得された神が2人の天使をソドムに派遣し、そこで見付けた正しい人間がロト。神はこのロト一家だけを救い出し、2人の天使はソドムを滅ぼした。結局、正しい人間なんて10人も居なかったのだ。
かの町の名は現代にまで遺り、「ソドミー(不自然な性愛──特に男色の意)」という言葉と成った。
おしまい。
──詳細はWikipediaを読むがよい。
筆者には教養が足りないので聖書の言葉がとんでもない関西弁に訳されてしまう。これぞ新訳・・・、いや罰当たりなので止そう。
ギュスターヴ・モロー『ソドムの天使』
ギュスターヴ・モローは象徴主義の先駆者と言われるフランスの画家で、聖書の内容をテーマにした作品が多い。
その中でも「ソドム」を描いた『ソドムの天使』があり、描かれているのは2人の天使。
町を滅ぼしている最中か、あるいは町を去ろうとしているところか。
彼らの足元にはソドムの町が見える。黒煙が立ち昇り、焼ける町が見える。つい2人の天使にばかり目が行きがちだが、町と比べれば彼らが異常に大きいことが判るだろう。
遠近法の構図ではなく、髪の力の象徴として意図して大きく描かれている。
空は白に近い、明るい色。清潔感すらあるほどに、明るい色。美しい。美しいのに畏ろしい。そんな絵画だ。
『ソドムの天使』はパリの「ギュスターヴ・モロー美術館」にある。
来日した経歴もあるので、興味のある方は是非。無くても是非。生涯で一度ぐらいは観てほしい。
そこの検索枠に打ち込むだけでもいいんだ。
──まだ興味が出ない? 数年前に映画『ミッドサマー』が流行ったじゃないですか。
アレも明るいのに怖かった。それに近い絵画。
さあ検索しよう。
ロト一家のその後
さて、救い出されたロト一家と言うと。
彼らは、天使たちに「決して振り返ってはならん」と言い付けられ、ソドムを脱出する。「決して振り返ってはならん」──どの神話でもお馴染みの台詞だ。言われたが最後、誰もが振り返ってしまう。
この物語で振り返ってしまったのはロトの妻であって、哀れな彼女は塩と成り果てた。伊邪那岐命だってオルフェウスだって、振り返ってしまうのだ。仕方無し。
塩と成り果てた彼女は、今でも死海の畔に佇んでいる。立派な観光名所なんだから恐ろしい。
よく考えてみてほしい、それ屍体やぞ。生きている人間の方が恐ろしいっていうオチだ。
オマケのゴモラ
ソドムのついでにゴモラも焼かれている。こちらは語源にもなっておらず、正確に何の罪があって滅ぼされたのかは正確ではない。おそらく「不自然な性欲」だろうとだけ。
聞いたところによると、ウルトラマンシリーズにも登場するらしい。
調べてみたら聖書に書かれている程度の簡素な存在ではなく、ウルトラマンを窮地に追い込む程の強い怪獣であり、その他のシリーズにも登場する程の人気で、見た目が中々可愛かった。
ちなみに、「ゴモラ」の町から名前を取ったという説とそうでないという、2つの説が存在する。
旧約聖書での扱いとは雲泥の差だ。
featured image:Gustave Moreau, Public domain, via Wikimedia Commons
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